専門的な知識・経験を得ることで、失われる無知の知。
自説を否定されるような真実から目を背けがちになる専門家。
→ 専門的な知識・経験と無知の知(12/10/27)
そういえば真の専門家のありかたが「徒然草」にも描かれていた。
まずは167段から。
「人としては、善に伐らず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。・・・慎みて、これを忘るべし。」
自分の知識や経験をひけらかし、他人と争ってはならない。
他人より優れていることがあるのは、大きな欠点とも言える。
自らの長所は慎んで、忘れてしまうくらいがよい。
「一道にもまことに長じぬる人は、自ら、明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終に、物に伐る事なし。」
本当にある分野に通じた人は、自らの至らなさを知っている。
だからいつも向上しようと努力して、人に自慢するようなことはない。
167段はソクラテスの「無知の知」を兼好流に描いた一節と言える。
こうした志で人々に認められるようになったとしても、
晩年の身の振り次第で台無しになるよ、と警告したのが168段。
「年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、「この人の後には、誰にか問はん」など言はるゝは、老の方人にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。」
ある分野で優れた才能を持ち、生涯を貫いた人が晩年、
「この方の亡き後には、一体誰に尋ねたらよいのだろう?」
と称されるほどならば、成功した人生と言えるだろう。
しかし老境に達しても、なおその道に邁進し、
若手の意見をつぶすような存在になってしまっては、
「この人は一生、専門バカで終わってしまったなぁ。」
と稚拙に人生を浪費した人、と捉えられてしまうものだ。
だから何を聞かれても「今は忘れてしまったよ」と答えるのが理想。
この段を読ませたい元気なお年寄り、みんなの周りにもいるよね。
「なんかその話、おかしくないか?」と首をかしげつつも、
目上の人だから…と黙って耳を傾けるふりをするのがツライ。。。
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