読者の方から質問いただきました。
「日本独自の思想や哲学の原点にあたる古典は何ですか?」
ムム…「独自の」という部分が結構ムズカシイ。
海外に目を向けると思想や哲学を書き表した古典は、
- 中国では老子や孔子
- 孔子と同世代のインドの釈迦
- 孔子・釈迦と約一世代後にギリシアのソクラテス
と紀元前に生きた人々に関するものが多い。
その頃の日本はというと…、そもそも文字がない!
中国から渡来した人々が持ち込んだ漢字をもとに、
漢字の発音と自分たちの発音をつきあわせて、
「万葉仮名」っていう文字を生み出すのだけど…
712年に成立した日本最古の歴史書「古事記」では、
序文でこんな悩みが語られているんだ。
「上古之時、言意並朴、敷文構句、於字即難。已因訓述者、詞不逮心。全以音連者、事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之内、全以訓録。」
(昔は言葉や心が素朴だったので、文章にすることがとても難しい。漢字を使って述べてみると、恐ろしく文章が長くなってしまう。困ったあげく、この「古事記」は音だけを借りた漢字を混ぜて書くことにしました。また場合によっては、表意文字としての漢字を連ねて書きます。)
8世紀でもまだ文字の扱いに慣れていない日本人。
これじゃ自分の言葉で思想や哲学なんて語れないよね。
ちょっと前置きが長くなったけど、
こうした日本語の歴史から考えていくと、
漢字・ひらがな混じりの古典に注目するのがいいかな。
そこで私が選ぶのが905年に成立した「古今和歌集」。
公的な文書に初めて「ひらがな」が登場するのが、
紀貫之が書いたとされる古今和歌集の序文「仮名序」。
「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言い出せるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。」
(和歌(やまとうた)は人の心から芽ばえた言の葉である。この世に生きていれば、様々な想いが生じるものだから、歌を詠まずにはいられないのだ。鶯や蛙が鳴くのと同じように、人が詠うのは生きることの証といえるだろう。)
日本は長らく無文字社会だったから、
おそらく暗唱しやすさ、というような目的もあり、
31文字の和歌にすべての想いを込めたんだと思う。
だから海外のようにまとまった思想書・哲学書はない。
和歌を読み解くことで探るしかないのかもしれない。
そしてそこまでの編集能力は今の私にないのでゴメンね。
【オマケ】
古今和歌集の最古の写本(1120年)はネットで閲覧可能。
→ e国宝「古今和歌集(元永本)」
上で紹介した仮名序の部分を画像にしてちぎってくると、
原文ではほとんど漢字が使われていないようだ。
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