西洋的な善悪二元論の考え方との比較から、
自虐ネタとしてさらされる日本の「あいまいさ」。
でも私たちが金融危機やフクシマで痛感したことと言えば…。
現代社会の脅威は、あからさまな悪意を持つものではなく、
善意ではじめたものが、何かの拍子で猛威をふるうこと。
こんな時代だから、日本のあいまいさ、
そこから生まれた、日本人の「間」を大切にする心の中に、
今後を読み解くヒントがあるのでは?なんて考えている。
でも一体、日本のあいまいさの起源はどこにあるのか?
ゆめうつつ(夢現)に注目してみた。
平安時代に編さんされた古今和歌集には、
夢と現実(うつつ)のあいだを詠んだ和歌が11首ある。
収録順に並べると(449,558,641,645,646,647,656,658,834,835,942)
- うばたまの 夢になにかは なぐさまむ うつつにだにも あかぬ心を
- 恋ひわびて うち寝るなかに 行きかよふ 夢の直路は うつつならなむ
- ほととぎす 夢かうつつか 朝露の おきて別れし あかつきの声
- 君や来し 我や行きけむ 思ほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか
- かきくらす 心の闇に まどひにき 夢うつつとは 世人定めよ
- むばたまの 闇のうつつは さだかなる 夢にいくらも まさらざりけり
- うつつには さもこそあらめ 夢にさへ 一目をよくと 見るがわびしさ
- 夢路には 足もやすめず かよへども うつつに一目 見しごとはあらず
- 夢とこそ いふべかりけれ 世の中に うつつあるものと 思ひけるかな
- 寝るがうちに 見るをのみやは 夢といはむ はかなき世をも うつつとは見ず
- 世の中は 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ
6番目までは夢と現実(うつつ)の境ははっきりしているけど、
7,8番目の小野小町の歌から境界があいまいになりはじめ、
9番目の紀貫之、10番目の壬生忠岑は、
この世に現実はなく、夢そのものだったのだ、と詠う。
そしてトリを飾る「よみ人知らず」の和歌が圧巻。
この世は夢か現実(うつつ)か分からない。
たしかに「ある」ようにも見えるけど、いつかは「なくなる」もので、
もしかすると、そもそも「なかった」のかもしれない。
※ありてなければ…あってないようなもの
「よみ人知らず」は「作者不明」ってことではなく、
「同種の歌を詠んだ人が多くて作者が分からない流行歌」
という意味が含まれていることもあるそうな。
夢と現実の境界のあいまいさ。
1000年以上も昔から日本の心はあいまいだったのだ。
これだけ続けば、捨てようとしても捨てきれるはずもない。
むしろこの日本の美意識に、現代を読み解く方法を見出すべきだろう。
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