「おもしろい意見だ、君の名前は?」
2010年に注目されたマイケル・サンデル教授の講義「Justice(正義)」。
当時の私は「金融資本主義」に変わる次の未来へのヒントとして、
サンデル教授の語る「正義」に耳を傾けたものだ。→関連記事
でも正直、心に残らなかった。「なるほろー」で終わってしまったような。
フクシマ後のエネルギー問題。
「正義」を見失って、ふたたびサンデル教授に触れてみたくなった。
サンデル教授は「正義」には3つのアプローチの仕方があるとする。
- 幸福の最大化
- 自由の尊重
- 美徳の促進
「幸福の最大化」からの正義へのアプローチとは、
経済的繁栄によって最大多数の最大幸福を目指すことを指している。
しかしこの考え方には2つの欠点がある。
- 正義と権利を原理ではなく計算の対象としている
- 人間の価値観を1つの基準にあてはめ、個々の違いを考慮しない
「自由の尊重」からアプローチしたとしても、2つ目の欠点は解決しない。
自由に基づく理論によれば、私たちの道徳的価値観や生きる意味は、
正義の領域を越えるものとして、考慮の範囲外におかれてしまう。
サンデル教授が支持するのが「美徳の促進」からのアプローチ。
「善良な生活」の意味を追求しなければ、公正な社会は得られないと説く。
それを説明するために、アリストテレスまでさかのぼり、話が難しくなる…
もちろん「美徳の促進」による正義の追求は理想的だけど、
価値観の多様化した現代で、政治のような大きな話に適用できるのかな?
古代では「美徳」から出発していた正義をめぐる理論が、
近現代では「自由」へ変化した背景には、社会の規模拡大があるのでは?
「街」単位のような小さな社会でなら、考えることは可能だと思うけど…
とりあえず、エネルギー問題の正義をこの議論にあてはめるなら、
原発肯定派が幸福の最大化、原発否定派が美徳の促進だろうか?
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