どうすればアイデアを手にすることができるのか?
そんな疑問が生じたとき、誰もが手にすることになる本が、
不朽の名著、ジェームス・W・ヤング「アイデアのつくり方」。
著者がアイデア作成の基礎となる一般原理。(P28)
- アイデアとは既存の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
- 既存の要素を新しい1つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性を見つけ出す才能に依存するところが大きい
つまり「アイデアは模倣と編集によって生まれる」ってこと。
だから模倣そのものを否定するような社会になってはならない。
最近、世間をにぎわせた東京五輪のエンブレム問題は、
あくまで模倣が上手か下手かの問題と割り切った方がいい。
日本ほど模倣による創造が豊かな国はないのだから。
ペリー来航までの日本は、世界の文化の受け皿の立ち位置で、
あらゆるものを受け止め、模倣による創造を続けてきた。
文化的に特別、興味深いのは言語と食文化だろうか。
- 漢字からひらがな・カタカナを創造した日本語の成り立ち
- 料理に使う食材の豊富さ(→ミシュラン高評価へつながる)
また日本のこの能力は失われた過去の面影ではなく、
たとえば任天堂の成功には「編集」の力が見え隠れする。
「最先端技術を追いかけるのではなく、使い古されて、価格も安くなっているちょっと古い技術を、一歩引いたところから水平思考してみる。すると、別の使い道が見えてくる。それは世界にひとつしかない商品になるだろう。安く作れて、競争もない。任天堂の成功はまさしく『枯れた技術の水平思考』を踏まえたものだし、今後、日本が熾烈なグローバル経済で生き残っていく鍵は、ここにある。」 (牧野武文「ゲームの父・横井軍平伝」P6)
アイデアは何もないところに天使が舞い降りるようなものではない。
これまでたびたび芸能の分野の「守破離」に言及してきた。
- 題材となる知識・知恵を集め、模倣を重ねることが「守」。
- 集めたものに独自の編集を加えることが「破」。
- そうすることで初めて既存のものを「離」れて創造できる。
既存の型を守り、型を破って外に出て、型を離れて新たな型を生む。
こう考えていくと日本の教育システムへの批判は的外れかも。
既存の知識の巧みな編集からアイデア生まれるのなら、
知識は詰め込めるだけ詰め込んでしまった方がいい。
その知識を編集する力をいかに身につけるかが重要なのだから。
コメント