手の中に宇宙を…利休の引き算の美学。

先日書いた記事に連環して、

日本の空間感覚の異質さを千利休を例に編集してみる。
利休の生きた時代(1521-1591年)は、ヨーロッパではルネサンス
ルネサンス期を代表する人物の生年を並べると分かりやすいかな。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)
  • ミケランジェロ(1475-1564年)
  • コペルニクス(1473-1543年)
  • ガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)
  • シェークスピア(1564-1616年)

見たい、知りたい、分かりたいという欲望が爆発した時代。
絵画に留まらず科学技術へまで関心を広げたダ・ヴィンチ。
宇宙に目を向け地動説を唱えたコペルニクスやガリレオ・ガリレイ。
世界観を極限まで広げようとしたのがルネサンスの特徴かも。

しかし同時代の日本文化を代表する千利休は真逆を行く。
足利義政の慈照寺東求堂の一室「同仁斎」 以降、
茶室の基本は四畳半だったけど、利休は二畳にまで縮めた。
手に届く範囲に全宇宙があるのだ、と言わんばかりの気迫。

宗教を背景とした時間論の差も背景にあるかもしれない。
キリスト教の時間は過去の清算から未来への希望へと前進し、
仏教の時間は回帰したり、不連続だったりする。

もちろんルネサンスの方が人類の発展には寄与しただろう。
でも私たちは今、時代を前へ進めることだけが進歩ではないと悟った。
飽くなき欲望の引き受けるフロンティアが消滅しつつあるから。
次の時代を読み解く方法は意外と足下にあるかも。。。

そして今回の利休の世界観「手の中に宇宙を」という考えは、
日本文化史にたびたび登場する「引き算の美学」の真髄といえる。
余分を削り、不足の中に満足を見出すことを大切にしてきた日本。
日本が再び世界の主役になるとしたら、きっとこのへんの感覚だよ。

コメント

  1. 赤大将 より:

    海を見れば水平線の先を、天を仰げば宇宙の果てを…
    人間一人が小さく、認識できる範囲は限られてるから、外へ遠くへ
    向かうことで世界を知ろうとする好奇心。
    科学技術の探求においては欠かせないものですね。
    人間の器では遠く宇宙を見ることは出来て、追求すればするほど
    新しい謎が出てきて、知的好奇心の先に際限は見えない。
    でも、人間が実際に出向いていける、手にすることが出来る範囲は
    限られていて、地球の外まで行くことは容易ではない。物質的欲望
    は知的好奇心と違って人間の行動範囲という際限がある。
    今はまさに欲望が際限にぶつかってしまって、進む方向を考える
    時期に来ているんでしょうね。
    人間自身が、人間としての身の程を知り、足るを知り、手の内に
    ある喜びを見つめなおす。そんな転換点なのでしょうか。
    本筋からは離れますが
    自分の手の届く範囲に身近なものがあり、その外側に幾つかの甲冑
    甲冑の逆側に多数のぬいぐるみ、傍らに趣味の本が少々。それが
    私にとっての小さな宇宙なのかもしれません。
    ちなみに甲冑は、城巡りから始まった趣味がいつのまにか甲冑
    見学→甲冑を着て時代祭等にに参加→甲冑(現代物)を持つ
    と変遷し、いつのまにやら自分の宇宙の中にしっかりと居場所を
    持ってしまった物にございます。
    趣味も欲も多き俗人ゆえ、引き算したつもりでも利休のように
    二畳とならず、八畳~十畳くらいになってしまう。でも、それが
    俗人たる自分にとって丁度よい宇宙の大きさなのかも。

  2. まろ@管理人 より:

    実は私の部屋も10畳あります(苦笑)
    寝ているとき地震で本棚の下敷きにならないようにと考えたら、そんなことになってしまいまして。。。