意味も分からず、突然「数寄者」になりたい!と思った。
「数寄」は、茶道によく出てくるようなので、茶人のことばに学んでみた。
千利休
「なるはなしならぬはなさず成ままにすく数寄者こそすきのすきなれ。」
できないことにこだわらず、できる範囲で風雅を追求する数寄者こそが、
数寄者のなかの数寄者なんだよ、っていうような意味。
足が不自由、両手に怪我、盲目など身体的制約をかかえながらも、
茶を愛好した人を誉めた文脈で登場する利休の名言。
ままならない身体を受け入れて、できる範囲で人生を楽しめばいい。
千利休にそういってもらえると、なんだか救われる思いがする。
ゆるくてもいい。一生続けられる何かがあれば、数寄者といえるのでは?
千宗旦
「数寄者は常に心を以て六根を遣ふゆゑ、心ゆたかなり。」
六根とは仏教で五感(目、耳、鼻、舌、身)プラス意識のこと。
つまり六根は私たちの欲望の源泉と言える。
だから、欲望をコントロールできる豊かな心を持つ者が数寄者、って意味。
天真爛漫すぎる自らの人生を落ち着かせようと、心の静けさを探す日々。
そんな悩みも数寄の道へ通ずるのだろうか?
片桐石州
「心を楽しむ数寄者こそ誠の数寄者とはいふべけれ。」
最初の2人ほど有名じゃないけど、茶道の流派のひとつ石州流の祖。
賤ヶ岳七本槍の片桐且元の甥、母方の曾祖父が今井宗久だよ。
このことばの直前は、
「数寄者はここに眼を付けて、月の夜雪の朝を楽しまんに、何か美器珍宝を頼むべきや。器物を愛し風情を好むは、形を楽しむ数寄者なり。心を楽しむ数寄者こそ…」
と書かれている。
高価な茶器を楽しむのではなく、心に映った情景を楽しむべし、ってことだ。
経済や投資からいったん距離をおきながら、なおブログを続けるのは…
心の中に生じた多彩な想いを、できるかぎり純度を高く表現してみたい。
って目標というか願いがあるから。数寄者を目指してみますかね。
※参考図書
コメント
数寄者を調べていたのですが、日本人の古来からの静かな美意識のあらわしに、なるほど、、!と思いました。
私は芸術の世界で表現している者なのですが、利休さんの言葉に心がじんわりあたたかくなりました。
とても素敵な記事をありがとうございます。
数寄者については茶道家で日本画家の方にご寄稿いただいた記事もありますので、よろしければ合わせてどうぞ。
https://pixy10.org/archives/31989017.html