人生やっぱり Connecting dots

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引っ越しを終えてヘトヘト。でも意外にも腰が無事で自信がついちゃったりして♪
引っ越しが終わるまでなんとなく気忙しかったから、これで落ち着くかな。
更新お休み期間中、自分で書いた文章をざっと読み直してみたところ、
人生ってやっぱり"Connecting dots"なんだなぁ、としみじみ思ったこと。

今回の"dots"の始まりは、30歳になってちゃんと人生を考えなきゃって思い、
2008年の春頃から「幸福論」って題の翻訳本を読みあさったことがきっかけ。
その年の夏に中野孝次「清貧の思想」と出会い、徒然草が好きになったりして、
人の幸せって何なんだろう?と考え始めたのはこのころだったかな。
それまでは問われたとしても、
身近な人の幸せも考えられる余裕があるなら、自分自身も幸せなのでは?
ってぼんやりとした受け答えで、お金のことは蚊帳の外。

20代のうちは、お金は多ければ多いほどいいんでしょ?としか考えてなくて、
もちろん株式投資だって、お金が殖やすことが目的ではじめたものだった。
でも、歳とともに資産も増えるものだし、年収と比べれば微々たる投資の利益…。
いつの間にか、リターンそのものより投資にまつわる知の編集を楽しんでいた。

ここらでようやくお金と幸せの関係について考え始めたんだ。
去年は「富と幸福」をテーマに世界の名言を収集したりもしたね。
今のところこのシリーズは、幸せとは心静かに生きること、で落ち着いている。

周囲からの賞賛や非難に惑わされるな。落ち着いた気持ちで庭先の花が咲いては散りゆく姿を眺めていよう。
--菜根譚(後集70)

私は雑草的存在にすぎないけれどそれで満ち足りている。雑草は雑草として、生え伸び咲き実り、そして枯れてしまえばそれでよろしいのである。
--種田山頭火

また同時に気になりはじめたのは、投資で儲けたお金って一体何だ?という疑問。
もともと商品投資には、なんとなく人を不幸にしてしまうような違和感があった。

そんな疑問は株式投資にも広がり始め…、たとえばお買い物を思い浮かべてみる。
買う側はその商品などを買えて幸せ、売る側は買ってくれてありがとう、
って売買にはお金と幸せが交わり会うけど、株式の売買ではどうだろう。。
株式の新規発行なら近いけど、市場を流通する株式の売買は幸せとは無縁。
自身の利益のみを追求することで、むしろ世界に不幸をばらまいてしまってるかも。

このころ気がついたこと。
投資する金銭的な余裕がある人って、広く世界を見渡せば、ほんの一握り。
もし投資家のお金が未来を決める投票権だと考えるのなら、
理論的に正しいから、という理由だけで投資先や投資手法を決めてもいいの?
そんなモヤモヤとともに、私のブログは投資から徐々に離れていったりもした。

投資と幸せとをつなぐには、意志決定の過程に社会的責任が必要かな?
そんな風に頭がまとまりはじめたころ、ひょっこり出会ったのがESG投資
こりゃいい♪とブログ上はもちろん、行く先々で騒いでいたら、
社会的責任投資フォーラムってNPOの運営委員の集まりに連れてってもらえた。
この先ちょっと楽しいことになりそうな予感♪
最近やや停滞気味だったので、ここで何かしら精一杯やってみようかと。

こんな感じで振り返れば、ここ2年ばかりの活動はすべてつながってるのかな。
これからもいろんなことがあるだろうけど、森信三「修身教授録」にもあるよう、

我が身に降りかかってくる一切の出来事は、自分にとっては絶対必然であるとともに、また実に絶対最善である。

って気持ちでいれば、向かうところすべてに幸せが待っているはずだよね♪

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