先日のセミナーにご参加いただいた方から不思議な取材依頼。
「これまでどんな人生を送ってきたのかインタビューさせてください」
とりあえず明日に備えて、イベントを年表形式にまとめながら…
やはり人生は築くものではなく、流れてゆくものだと思う。
うつろいゆく世界で偶然出会うチャンスをどう生かすかがすべて。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し…」(方丈記)
過去が現在に、そして現在が未来につながるなんてのは幻想。
まずは論理や正比例の世界に凝り固まりやすい頭と心をほどく。
そして老子が語った「水」のようにしなやかに生きてみよう。
幸せとは、流れの中でやりがいを探し続けることだから。
「幸せとは、一箇所にとどまって、これで幸せというものではなく、現在進行形で動き続けているもの、変わり続けているもの。変わり続ける中で、新しい発見があるもの。やりがいを感じることや充実感があることを見つけ続け、探し続ける、そのプロセスです。」
---羽生善治「結果を出し続けるために」P195
また幸せと不幸の境界は、善悪の境界と同様に分からないもの。
今の私が幸せそうに見えるとしたら、就職氷河期の恩恵が大きい。
普通に有名な会社へ就職してたら、自由に生きるのは難しいから。
まぁこれまでは「幸運」な人生であったことはたしかだけど、
「幸福」な人生であったかどうかは、私の死後、誰かが判断することさ。
「人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません。」---ヘロドトス「歴史」上巻P35
コメント
個人的には、「幸せ」は、主観的に思うこと、だと思ってます。
状況ではなく、そこに存在する自分の主観もしくは在り方。
外部の状況や、他者との比較で、幸せを決めることに慣れてしまうと、(幸せを感じることは)自分の気持ちのことなのに、他の要因で決められてしまうので。
私の考え方には、少しスピリチュアルな面が入っているので、違和感があるかもしれませんが。
コップ半分に水があるとき、もう半分しかないと思うのか、まだ半分なると思うのかも、「わたしの主観」が決めることなので、同じような使い方が「幸せを感じること」にも使えるかなと。
(起こる出来事に対しての自分の捉え方で幸福度が変わる・・・ある意味、「幸せ」かどうかは、個人の感度の問題に帰するかもしれません)
>過去が現在に、そして現在が未来につながるなんてのは幻想。
賛成です。むしろ未来が現在につながっていると考える方がよいかもと思い始めています。(私もまだ十分には理解していませんけど)
今いる場所が一番幸せなんだ♪といつも言えたらいいですね。
「未来が現在につながっている」という考え方は最近、ジャン=ピエール・デュピュイの著書で出会ってこれは一体?と衝撃を受けたばかりです。まるまるまるたさんはデュピュイ読まれましたか?
http://www.pixy10.org/archives/14264715.html
「ありえないことが現実になるとき」に一番詳しく書かれています。
デュピュイ氏の本は読んだことありませんでした。
(講演はPDFで読めるんですね。今読んでます)
スピリチュアルに拒否があれば、以下のコメントはスルーください。
私は、元福島大学の経営学の教授をされていた飯田文彦氏の本で、いくつかのスピリチュアルな内容を読んでいます。
元々は、人々の生きがいを如何に導き出すか、その視点としてのスピリチュアル・・・ということで「生きがいの創造」という本(元々は論文です)を執筆され、さらに「生きがいのマネジメント」という本で、経営的な視点をつづっておられます。
現在は、大学を退職され、心のケア(大切な人を失った人に対してのスピリチュアルな視点からのケア)を京都(光の学校)で実施されています。
生きがいの創造も改定が進み、今では「完全版 生きがいの創造」という本がPHP文庫で出ています。
内容は、生まれ変わり・魂というものに対する学術研究論文(欧米の研究が主です)から、人は生まれ変わりがあるということ、ゆえに子の人生だけで終わるのではなく、人生から人生へつづいていく流れの中で、学び続けていくのであるということを導き出し、この人生だけの失敗で、生きがいを無くしたひとに、輪廻転生という大きな流れの中で、自分の価値を再認識することで、生きがいを再び取り戻す・・・というような内容です。
コメント欄の字数制限にかかったので、つづく にします(笑)。
前コメントの続きです。
その議論のなかで、魂は、人生を始めるにあたり、「生まれる前にこの人生における課題を決めて生まれてくる」ということがあります。
この課題のために、人生の大きなイベントを決めて生まれてくるということです。
ただ課題というのは、「愛を学ぶ」とか「信頼を学ぶ」とか逆に「苦しさ」を学んでみるなど、感情や感性にかかわる学びで、現実世界の学びとは、違う観点ですけど。
国、数、英、理、社・・・などの学びというイメージではないようです。ただこの能力も、次に引き継がれる(才能として)ことになるようです。
このような魂の学び・・・運命論的な考えから、この人生の学びのために、「未来のある出来事」があり、それが「現在の状況」を導き、作りだしていると考えているわけです。
それゆえ、未来が現在につながっていると考える方がよいかもと思い始めています。
お返事の代わりに今日の記事で「時」の捉え方について頭の中からいろいろ出してみました。
http://www.pixy10.org/archives/19058162.html