貨幣(お金)が価値判断の中心に君臨している今の社会。
いつの時代からか分業化が進んだことで、私たちの日々の暮らしは、
- 自分の時間(自由)を誰かに売ってお金を手にして、
- そのお金で他の誰かの時間(自由)を買う
という循環運動に巻き込まれ、時間とお金の間を行ったり来たり。
社会的生産が創造の喜びとつながりにくい…、そんな矛盾を感じる。
ミヒャエル・エンデの「モモ」が、そんなテーマだったかな。→関連記事
「お金のため」や「生活のため」と割り切ってしまえば本当に簡単。
でも、平日の大半を何かの部品のように生きるのは実にむなしい。
地位の高い人ほど「部品ではない!」って自負心もあるかもしれない。
残念ながら「存在」や「力」を示したがる部品ほど邪魔なのが現実だ。
お金を価値判断から外せば、すべてが解決するかどうかは分からない。
ただ、お金の価値はうつろう。貨幣そのものにバブルが起きているから。
投資家として運用資産が増え、1日の価値変動が月収を超えた頃から、
「投資リターンは人生のオマケ」と言い始めたのは、このへんのモヤモヤ。
なんだかよく分からなくなってきたけど、
結局、私はお金以外の「創る」喜びを探しているんだと思う。
こうしてブログを書くのも小さな創作? でも少し背伸びをしてみたい。
そんなことを、岡本太郎「今日の芸術」を読んで思ったのだった。
コメント
まろさんのブログに出会うまでは、投資は別世界で、投資家さんの頭のなかはお金でいっぱいだと勘違いしていました。一般人の私の方が金銭欲にまみれているのかもしれない。考えさせられました。
私は少し特殊な投資家かもしれません。他の方がどうかよく分かりません。お金はあれば便利ですが、たくさんあれば幸せ、というものでもありません。
20代の頃、私の頭の中はお金でいっぱいでした。そしてその願いが満たされたとき、何も見えませんでした。もっと違うものを望むべきだった。若い人たちにそんな想いを伝えたくて、ブログを書き続けているのかもしれません。