古代ギリシアの幸福論/循環する時のなかで

ヘロドトス「歴史」に登場するソロンとクロイソスの問答は、
これまでくり返し紹介してきたけど、

人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません。

この感覚は古代ギリシアで共有されていたようで、
様々な文献に同種のことばが遺されている。

望ましい幸福に恵まれて一生を終えた者こそ、幸福な人間と言うべきであろう。」(アイスキュロス「アガメムノン」)

何らの苦しみにもあわずしてこの世の果てに至るまでは、何人もゆめゆめ幸福と呼ぶなかれ。」(ソポクレス「オイディプス王」)

昔から言われていることですが人の一生は、その人が死ぬまでは、よかったか悪かったか、言うことはできないのですよね。」(ソポクレス「トラキニアイ」)

現代の「過去→現在→未来」の直線的な時間感覚は、
ユダヤ・キリスト教が天地創造と終末を直線で結んでから。
でも古代社会では人々の時間感覚は円環・循環的だった。

まず人間の運命は車輪のようなもので、くるくると廻りつつ、同じ者がいつまでも幸運であることを許さぬものだということをご承知なさいませ。」(ヘロドトス「歴史」)

だから、過去と現在、現在と未来はどこに視点を置くかで、
くるくると評価が変わることを悟っていたのかもしれない。
そして今、見直されるべき時間感覚はここにあると思う。

均等に時を刻む時計の針に惑わされているだけで、
時の流れは本来、直線だけでは語れないものなんだろうね。