「オッカムの剃刀」という言葉に初めて出会ったのは、
バンガードの創業者、ジョン・C・ボーグルの著作だったと思う。
「必要が無いなら多くのものを定立してはならない。少数の論理でよい場合は多数の論理を定立してはならない。」(オッカムの剃刀)
14世紀の修道士オッカムが提唱した思考法は、
人間の知性を宗教から解放し、科学発展の礎となる。
その過程を描いた一冊を読んだ。
この本を読みながら、日本文化にもシンプルの思想があるなぁと。
著者は宇宙そのものがシンプルにできているはずと主張していたが、
宇宙の流れの中で、すべてがシンプルへと向かっているのだろうか?
- 土器…複雑な文様の縄文土器からシンプルな弥生土器へ
- 和歌…目の前の情景を31文字に凝縮
- 扇子…中国から伝わった「うちわ」をポータブル化
- 法然…膨大な経典や修行を「南無阿弥陀仏」6文字に凝縮した
- 禅…固定観念を極限まで削り落とすことで、自己の本質を捉える
- 枯山水…あえて水を無くすことで受け手の想像力にまかせた庭園
- 千利休…余計なものを極限まで削り、手の届く範囲にこそ全宇宙がある
- 日本料理…食材の一番美味しいときに最小限の手を加えて作る
シンプルと言えば、ふと思い出したのがホヤの生態。
ホヤは生まれるといきなり終の住処を探し始める。
そして快適な岩場を見つけると、生涯同じ場所で過ごし、
海水を飲み込み、プランクトンを食べ、残った水を吐き出す…。
この作業を延々と繰り返すことで生きていく生物だ。
あまりにシンプルな生き方ゆえに、もはや知力は必要なし。
多くのカロリーを必要とする脳を自ら食べてしまうのだ。
一方の私たち人間は、体重の2%にすぎない脳を保つために、
1日に必要とするカロリーの25%を充てているという非効率さ。
そしてカロリー摂取のために食料生産が必要となり、
咀嚼・消化の時間を短縮するために加工・調理が必要となり、
その過程で化学薬品に頼って、かえって健康を害したりしている。
シンプルを追求すると、ホヤのような生物が究極系なのだろうか?
居心地の良い場所を見つけたら、何にも考えずに生きていく。
個人的にはそんな人生面白いのかな、なんか嫌だなと感じていて、
考えることをやめたように行動する人を軽蔑してしまいがち。
でも昔の映画「マトリックス」に描かれた仮想世界の人間って、
ホヤみたいで、起こりうる近未来の姿のようにも思えるのだった。
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