一汁三菜の源流は本当に宴会料理?

この記事は約2分で読めます。

一汁三菜の来歴について調べると、
以下のような和食の歴史に沿って説明されることがほとんど。

  1. 神饌料理(神社の祭礼で神様に捧げる料理)
  2. 大饗料理(平安貴族の宴会料理)
  3. 本膳料理(室町武士の宴会料理)

この流れの中に一汁三菜の源流があるとされる。

でも上記のような本流で説明しようとすると、
なんとも納得できない事例に出会ってしまうんだよね。

  • 平城京から出土した食器の変化
  • 枕草子と病草紙

平城京から出土した食器の変化

奈良時代の前半と後半で出土する食器に大きな変化があり、
前半は大きな食器が多く、後半になると小型の皿や椀が多くなる。

最近は天然痘の流行前後による食卓の変化と説明されるようだ。

大皿料理をみんなでつついて食べる形から、感染予防のために、
ひとりひとり小皿に盛り付けたものを食べる形に変わったのだ。

COVID-19襲来を機にこうした説明がされはじめたようで、
まさに「歴史は現在と過去との対話」(E.H.カー)の事例と言える。

枕草子と病草紙

枕草子に「匠の、物食ふこそ・・・」ではじまる、
大工の食事風景が記されている一節がある。

大工がすべての料理が揃うのを待っていることができず、
まずは汁物をグイッと飲み、おかずが届くとこれをたいらげ、
最後にご飯だけを食べる姿を見て、清少納言が行儀悪いどグチる段。

また平安末期から鎌倉初期に書かれたとされる「病草紙」。
当時の病気と治療法が絵付きで説明された絵巻物で、
歯の病気(歯周病?)が題材の絵に、当時の食卓が描かれている。

こうして見ていくと、宴会のようなおもてなしの席ではなく、
日々の暮らしの中で一汁三菜の食卓に源流がみてとれる。

たぶん一汁三菜に限らず、投資をはじめて様々な分野において、
本流に乗っかって説明すれば、もっともらしい印象を与えられるが、
細かく見ていくとなんか変?という事例は多々あるんだろうね。

コメント