一汁三菜の来歴について調べると、
以下のような和食の歴史に沿って説明されることがほとんど。
- 神饌料理(神社の祭礼で神様に捧げる料理)
- 大饗料理(平安貴族の宴会料理)
- 本膳料理(室町武士の宴会料理)
この流れの中に一汁三菜の源流があるとされる。
でも上記のような本流で説明しようとすると、
なんとも納得できない事例に出会ってしまうんだよね。
- 平城京から出土した食器の変化
- 枕草子と病草紙
平城京から出土した食器の変化
奈良時代の前半と後半で出土する食器に大きな変化があり、
前半は大きな食器が多く、後半になると小型の皿や椀が多くなる。
最近は天然痘の流行前後による食卓の変化と説明されるようだ。
大皿料理をみんなでつついて食べる形から、感染予防のために、
ひとりひとり小皿に盛り付けたものを食べる形に変わったのだ。
COVID-19襲来を機にこうした説明がされはじめたようで、
まさに「歴史は現在と過去との対話」(E.H.カー)の事例と言える。
枕草子と病草紙
枕草子に「匠の、物食ふこそ・・・」ではじまる、
大工の食事風景が記されている一節がある。
大工がすべての料理が揃うのを待っていることができず、
まずは汁物をグイッと飲み、おかずが届くとこれをたいらげ、
最後にご飯だけを食べる姿を見て、清少納言が行儀悪いどグチる段。
また平安末期から鎌倉初期に書かれたとされる「病草紙」。
当時の病気と治療法が絵付きで説明された絵巻物で、
歯の病気(歯周病?)が題材の絵に、当時の食卓が描かれている。
こうして見ていくと、宴会のようなおもてなしの席ではなく、
日々の暮らしの中で一汁三菜の食卓に源流がみてとれる。
たぶん一汁三菜に限らず、投資をはじめて様々な分野において、
本流に乗っかって説明すれば、もっともらしい印象を与えられるが、
細かく見ていくとなんか変?という事例は多々あるんだろうね。
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