とんかつ誕生の謎。「ぽん多本家」と「ポンチ軒」

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東京国立博物館「正倉院の世界」を訪れるついでに、
初めて「ぽん多本家」でカツレツをいただき感動した!

その調理工程がぐるなびで紹介されているが、
ロース肉の脂身を落とし、芯だけを揚げたカツは超・美味!
もう他の店でロースカツは食べられなくなるほどの衝撃だ。

「ぽん多本家」はカツレツの生みの親、島田信二郎が、
1905年(明治38年)に創業した店として知られるが、
とんかつの歴史を紐解くと「ポンチ軒」の店名が登場する。

岡田哲「明治洋食事始め」を参考に年表にすると、

  • 675年 天武天皇による「殺傷禁断令」
  • 1872年 明治天皇による獣肉解禁。牛肉→鶏肉→豚肉と肉食が広がっていく。
  • 1895年 煉瓦亭(銀座)「豚肉のカツレツ」の誕生。付け合わせはベークドポテトやフライドポテト、煮込んだにんじん、ゆでキャベツなどの温野菜。
  • 1898年 世界醤油大会にてウスターソースが紹介される。1900年に日本へ輸入され、日本独特のソース開発が始まる。
  • 1900年 養豚推奨(アメリカ・イギリスより種豚輸入)
  • 1904年 日露戦争によりコックが徴兵され人手不足に。そこで準備しておけてすぐに添えられるキャベツの千切りが付け合わせになる。
  • 1918年 屋台洋食屋の河金(浅草)が「カツカレー(河金丼)」を考案。
  • 1921年 早稲田の学生が「カツ丼」を考案。ソースカツ丼に近いもの。現在の形になった時期は不明だが親子丼は1877年に誕生している。
  • 1929年 宮内庁の元シェフ島田信二郎ポンチ軒(上野御徒町)で「とんかつ」を考案。薄い肉に衣を着せて炒め焼きをする「ポークカツレツ」から分厚い肉を天ぷらのように揚げる「とんかつ」へ。

「ぽん多本家」は1905年に島田信二郎が創業。
しかし島田は1929年に「ポンチ軒」で「とんかつ」を考案と記録される。
ポンチ軒が第二次世界大戦中の空襲により廃業していることもあり謎。

これは私の勝手な解釈だが。

島田にとって「カツレツ」と「とんかつ」は別物という認識だったのでは?
「ぽん多本家」の「カツレツ」のような丁寧な豚肉の処理をする工程を省き、
より手軽に提供できる「とんかつ」を「ポンチ軒」に伝えたのではないか?

ちなみに現在、神田小川町にある「ポンチ軒」は、
かつて赤坂見附のプルデンシャルタワーにあった洋食屋「フリッツ」が、
2012年にオープンした店で、とんかつ発祥のポンチ軒とは無関係だ。

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