古今和歌集に記憶の大切さを学ぶ

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インターネットとGoogleの検索窓を手に入れたのに、
どうして私たちは記憶という面倒事から逃げられないのか?

そんな疑問が頭をよぎることもあるが、
古今和歌集を読んでいると、記憶の大切さを再認識させられる。

和歌の連鎖で物語る代表例として、たびたび紹介してきた、
古今集939~942番の4首のひとかたまり。

あはれてふ ことこそうたて 世の中を 
思ひ離れぬ ほだしなりけれ

あはれてふ 言の葉ごとに 置く露は 
昔を恋ふる 涙なりけり

世の中の 憂きもつらきも つげなくに 
まづ知るものは 涙なりけり

世の中は 夢かうつつか うつつとも 
夢とも知らず ありてなければ 

もともとは喜怒哀楽すべてを含んだ言葉だった「あはれ」。
その後なぜ、悲哀の意味合いが強くなっていったのか。
この4首を繋げることによって、説明しているように思う。

1首目の「あはれ」はおそらく喜怒哀楽のすべて。
この「あはれ」に心を動かされるから、世の中をあきらめられない。
しかし2首目の「あはれ」では、昔を恋しく思う「涙」と範囲を狭め、
3首目でその「涙」 は、この世の哀しさやつらさそのものと説く。

ここで巻き戻して「世の中」に対する想いの展開を追うと、
「世の中」をなかなかあきらめきれないが(1首目)、
涙と共に「世の中」の哀しさやつらさを実感すると(3首目)、
「世の中」の夢とうつつの境界があいまいになり、
ありてなければ(あってないようなもの)と結論づける(4首目)。

このように複数の作者の和歌を配列することで新たな命を吹き込む。

また全5巻・360首に及ぶ恋歌の最後に持ってくるのは、

流れては 妹背の山の 中に落つる 
吉野の河の よしや世の中 

吉野川のように男女の思いは行き違い、融け合うのは難しい。
しょせん世の中こんなもの。人生すべて恋のごとし、と訴えかける。

このように自在な編集を可能にしたのは、なんだったのか?
やはり古今和歌集の編者(主に紀貫之)が、
かなりの数の和歌を記憶していたからこそ可能だったと言える。

名著と誉れ高い、ジェームス・W・ヤング「アイデアのつくり方」。
著者が説いたアイデア作成の基礎となる一般原理は、(P28)

  1. アイデアとは既存の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
  2. 既存の要素を新しい1つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性を見つけ出す才能に依存するところが大きい

そして既存の知識が頭に入っているからこそ、
事物の関連性を見出し、新しい組み合わせを発見できるのだ。

脳に蓄積される記憶の量を増やすことがなぜ大切なのか?
結局、人の発想は蓄積された記憶の範囲内に限定されるからだ。
だから何らかの方法で記憶を広げる努力をしない限り、
私たちの思考や判断は限定されてしまうということになる。

まとめると「記憶→編集→創造・発想」ということ。
どんなに便利な世の中になっても記憶することを手放してはならない。

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