世間では多様性やダイバーシティが訴えられているが、
株式投資の方法論については、理論が確立されているかのように、
本当に狭い範囲の議論しかされなくなっている。
一歩引いてその様子を眺めていると、
以下の時代の名著たちが憂いた状況に似ている気がする。
- ル・ボン「群集心理」(1895)
- ムッソリーニ政権誕生(1922)
- オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」(1930)
- ヒトラー政権誕生(1933)
- ハンナ・アレント「人間の条件」(1958)
とくにこうあってはならないと、常に心に留めているのが、
オルテガの語る「大衆」の定義。
「大衆とは良い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分はすべての人と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。」
一見すると、庶民を批判しているように見えるが、批判の矛先は、
中途半端に知恵を付けた専門家気取りの人間に向けられている。
ある分野に精通したと思い込み、断片的な知識で結論を出そうとする。
考え続けることを止めてしまった者達が「大衆」になってしまうのだと。
投資家として、いかに烏合の衆である大衆と距離を置くか?
それが相場の格言「人の行く裏に道あり花の山」にもつながるのかな。
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