利殖上手にして武辺者の岡左内。そのお金の使いどころ。

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戦国武将、岡定俊(1567~1622)。通称、岡左内
調べているとお金の面で、なかなかおもしろい人物だ。

上田秋成は「雨月物語」(1776)の最終章「貧富論」に、
主人公として左内を登場させ、こう語らせる。

「崑山の璧もみだれたる世には瓦礫にひとし。かかる世にうまれて弓矢とらん體には、棠谿・墨陽の剣、さてはありたもの財宝なり。されど良剣なりとて千人の敵には逆ふべからず。金の徳は天が下の人をも従へつべし。武士たるもの漫にあつかふべからず。」

良剣でも1,000人は斬れないが、お金で天下を統べることができる。
つまりは戦国武将なのに「剣より金が大事」と言っているのだ。

左内のお金好きは史実らしく、部屋中に金銭を敷き詰めて、
眺めてて楽しんだり、その上に寝っ転がる変人だったそうだ。
しかし左内はただの守銭奴ではなかった。

蒲生氏郷(1556~95)に仕えていた左内が下級武士だった頃、
わらじ作り等の副業でコツコツお金を貯め、同僚にバカにされていた。
しかし秀吉の北条征伐(1590)の際、貯めたお金で名馬を購入して馳せ参じ、
氏郷にその心意気を買われて、数十石から一万石へ一気に出世する。

氏郷没後(1598)は上杉家に仕え、財政難の同家のために軍資金を献上。
山口博「日本人の給与明細」によると、今の価値で2億円くらいとか。
そして関ヶ原の戦いの後に起きた、伊達氏との松川の戦い(1601)では、
乱戦のなか、左内が伊達政宗と斬り合ったとの逸話が残されている。

その後、江戸幕府による減俸処分により、さらなる財政難に陥る上杉家。
左内は自分への俸禄が重しになると、上杉家を去ることを決め、
それと同時に同僚に貸し付けていた軍費の返済も求めなかったという。

以上のように、コツコツ貯めたお金で投資をして大成功。
裕福になると、お金に困っている周囲の人たちに気前よく分ける。
そんな生き方ゆえに、左内が歴史に埋もれることなく、
後の世まで語り継がれる人物となったのだろう。

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