アラン・バーディックは「なぜ時間は飛ぶように過ぎるのか」の中で、
時間にまつわる議論が混乱に陥るのは、
様々な知覚体験を1つの言葉で表現しようとするからだと指摘。
次の4つの知覚体験に分けて考えるべきでは?と説いている。
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時程…2つの別々の出来事の間にどれだけの時間が経過したかを判断したり、次の出来事がいつ起きるかを正確に予測したりする能力
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時間順序…複数の出来事が起きた順番を見分ける能力
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時制…過去、現在、未来の区別をつける能力。明日は昨日とは時間的に違う方向にあることを理解すること
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現在性の感覚…「たった今」時間が自分を通り過ぎていくという主観的な感覚
私が「時」について気になりはじめたのは、
リーマン・ショックの真っ只中で、自分の中の時の流れが、
株価の変動に合わせて速くなったり、遅くなったり感じたことがきっかけ。
時の流れは誰にとっても同じ、唯一絶対のものなのか?
そんな疑問をきっかけにアインシュタインの相対性理論が、
時の流れは誰から見ても変わらない「絶対的」なものではなく、
見る人の立場によって「相対的」に変わると説いていることを知った。
また道元の「正法眼蔵」からは、
時は自分の外側を流れるものではなく内側に存在するのもであり、
自分が「今」を認識して、はじめて時が現れる、という考え方を学んだ。
こうしてふりかえると、私の関心はもっぱら「現在性の感覚」にあるようだ。
そのほかに時にまつわる気になることと言えば、
スティーブ・ジョブズの「Connecting the Dots」。
運命的な出会いによって、心の中で過去が整理・再評価され、
現在に向かって必然的に進んできたかのような錯覚を起このはなぜか?
これは、人生はじめ経済や社会のこれまで(過去・現在)の評価は、
これから起きること(未来)によって常に再編集が行われる心の動きで、
「時制」に近いが時間論とは、また別物ということになるだろうか。
それから今まで世界最古の時間論は道元だと思っていたが、
アウグスティヌスが「告白」の中で時を論じているらしい。
読んでみなければ。
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