戦前、内藤湖南という歴史家が講演会で
「だいたい今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありません。応仁の乱以後の歴史を知っていたらそれでたくさんです。それ以前の事は外国の歴史と同じ位にしか感ぜられません。」(応仁の乱について→青空文庫)
と語ったことが有名なんだとか。
昨日編集した東山文化の隆盛を見るとたしかにそんな感じ。
文化の創造者は貴族・武士・僧侶ではなく民衆から生まれ、
日本における生活文化史はここからはじまったんだよね。
文化の面でも下克上が起きていたってことだ。
また応仁の乱で京都が荒廃したことで、
文芸人が地方に分散し、全国の文化レベルが向上した。
おそらくこの頃、本格的に貨幣経済が全国に浸透し、
京の文化を地方で売れたことも後押したんだと思う。
応仁の乱がダラダラ長引いたのは金銭欲が絡んでたし。
(たとえば水墨画の雪舟は山口を拠点に創作活動)
「応仁の乱というのは、一種の自然発生的な革命の戦争じゃなかったのか。リーダーも何もいない。そして革命の思想も意識もない。ところが生態史観的にいえば、あれが一種の革命作用をなしたのじゃないか。」(司馬遼太郎)
室町時代というと後半の戦国時代に注目しがち。
このあたりの歴史もいろいろ調べて編集してみたいな。
コメント
言われてみれば、古代は国や地域によって狩猟主体・農耕主体はあるものの自然崇拝や初期型の一神教があって、統治者を頂点とした階層構造があって…と人間誰しもだとる道をなぞってると言われれば納得する点がありますね。
私は甲冑趣味ということもあり、室町時代について後期の戦国時代が
主な興味範囲ですが、戦国視点で見ても、戦場の主役が武士主体の少数精鋭戦から足軽による集団戦が主体に移り、民衆も各地を転々として、他に物流が特に発達していった時代でもあります。(大軍を動かすためには、道を整備し、遠方とも取引し、物資を運ぶ手段の確保がすごく大事なので)
文化発展の大きな転換点なのは間違いなさそうですね。
戦国時代は日本が世界一の鉄砲生産国になったりと20世紀の経済発展を予見させるような動きもありました。本当に活気のあった時代だったんだろうなと思います。
【オマケ】
鉄砲絡みでこんなコラムも寄稿してます。
http://sifjapan.org/books/post-81.html