実るほど頭を垂れる稲穂かな

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人は誰しも〇〇の分野の専門である、と思い込んでしまうと、
自分の方が偉いと幻想を抱き、他者を攻撃してしまうものなのだろうか。
そんな事例を最近見かけることが続き、うーむ。。。

人のふり見て我がふり直せ

私も手数料稼ぎが目当ての投資信託を見つけると、しょーもない商品作って!
と知恵のある個人投資家ぶって、怒っていたりするから同じことなのだ。

知識をひけらかして糾弾すると、善いことをした気分に浸ることができる。
この自己満足が危険なのだ。

ソクラテス「無知の知」

分かったふりをしている人よりも、自らの無知を自覚し、
知を愛し求め続ける者こそが、本当に知恵のある人間なのだ。
無知の知を簡潔にまとめるこんなところだろうか。

今日、私たちが社会の中で一定の役割を果たしたければ、
何か一つの領域で専門家として成熟することを求められている。
でも何者かになろうと努力するうちに「無知の知」を見失い、
高慢な振る舞いをしていたら、何者にもなることができない。

兼好法師「徒然草」167段

「人としては、善に伐らず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。・・・慎みて、これを忘るべし。」

自分の知識や経験をひけらかし、他人と争ってはならない。
他人より優れていることがあるのは、大きな欠点とも言える。
自らの長所は慎んで、忘れてしまうくらいがよい。

「一道にもまことに長じぬる人は、自ら、明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終に、物に伐る事なし。」

真にひとつの分野を極めた人は、自らの至らなさを知っている。
だからいつも向上しようと努力して、人に自慢するようなことはない。

このように真の専門家のあり方が描かれている。
人から認められたいとか、自分を大きく見せたい、という欲があるうちは未熟。
大切な心がけはなんだろう?

実るほど頭を垂れる稲穂かな

最近読んだ本で出会ったトップクラスの棋士の姿勢。

「私が最も強く感じたのは、彼らの謙虚な姿勢だ。羽生世代について語る時、彼らは深く頭を垂れていた。羽生たちにとってそれは普段の態度でもある。相手の立場に関係なく、誰とでも同じ目線で話をする。決して尊大な振る舞いをすることはない。ネガティブな要素を一ミリも発しない彼らは、全世界と人間を肯定する力に満ち溢れている。」(大川慎太郎「証言 羽生世代」

「謙虚」が人を伸ばすのだ。

ふと、セネカの「怒りについて」を読んだことがないことに気付く。
この手の話題を考えるには必要な気がするので、手に取ってみよう。

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