リーマンショックや3.11後の原発事故を目の当たりにして、
ウルリヒ・ベック「危険社会」をはじめ、
偶然とリスクの諸相に関する本を読みあさった時期がある。
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リスク管理は破局に無力/ジャン=ピエール・デュピュイ(12/08/15)
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豊かな社会がリスクをもたらす/ベック「危険社会」(12/10/10)
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偶然の文化比較と九鬼周造「偶然と運命」(12/10/26)
現代社会の主な脅威は、あからさまな悪意を持ったものではなく、
善意ではじまったものが、何かの拍子に猛威を振るうことなのではないか。
グリーンエネルギーの担い手だった福島の原発が、
押し寄せる津波とともに一夜にして「善」から「悪」へ転換したように。
20世紀には「富の分配」をめぐり、2度の世界大戦を経験した人類は、
科学技術により「富を生産」することで、この問題を解決しようとした。
しかし科学技術が造り出す将来の「リスク」の問題が顕在化する。
そしてリスクが顕在化したときに「想定外」と立ち尽くしてしまう…。
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何がリスクなのか把握することができない
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リスクの責任の所在が分からない
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リスクが顕在化したときの補償をしきれない
「リスクを生産しておきながら、それを正しく認識できない大きな理由は、科学技術の合理性が「経済しか見ない単眼構造」にあるからである。この目は生産性向上に視線を向けている。同時に、構造的に見てリスクには盲目なのである。経済的に見合うかどうかという可能性については、明確な予測が試みられ、よりよい案が追求され、試験が行われ、徹底的に各種の技術的検討が行われる。ところがリスクについては、いつも暗中模索の状態で予期しないリスクや全く予期し得ないリスクが出現して初めて、心底おびえ、仰天するのである。」(ウルリヒ・ベック「危険社会」)
実は新型ウイルスもまた、これらの話と同じなのではないか。
経済的合理性を追求することで、新型ウイルスと遭遇し、
経済活動を通じてそれを拡散してしまうのだから。
「新興感染症の75%は動物に起源があり、森林破壊によって本来の生息地を追われた動物たちが人里に押し出されて病原体を拡散させるようになった。」(石弘之「感染症の世界史」)
金融危機や放射能よりもさらに高度なリスクなのかもしれない。
日常においてウイルスの存在を知覚する手段はなく、
顕微鏡でその姿を掴んだ時には、すでに変異し、姿を変えている。
もしかすると、さらなる延長線上にあるのが人工知能?
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金融機関・原発…生み出した技術に対して、人類が時代遅れの存在となるリスク。
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新型ウイルス…その進化と変異に人類が翻弄されるリスク。
人工知能が両者の側面をあわせ持っているような。。。
より困難なリスクに襲われ続ける。世の中そんなものなのだろう。
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