12月頃から雲行きが怪しくなっていたにもかかわらず、
何か手を打つでもなく、悪化の一途をたどり…、緊急事態宣言へ。
といった印象で、なんだかなぁ。
そういえば去年の春、出版された本にこんな一節があった。
「彼女は過度にリスクに手を出そうとする。それは社会の混乱に乗じてヒロインになる術を熟知しているからであろう。「風がなければ、自分で風を起こす」とは、まさしく、そういう意味なのだ。選挙区を替える、政党を替えるといったことならば、彼女だけの問題で済む。だが、為政者として、この性質が発揮された時、国民は否応なく、彼女のばくちに付き合わされることになる。このような彼女に生活を、生命を左右されることになるのだ。」(石井妙子「女帝 小池百合子」)
国と東京都が対立して、物事が進まないように見えたのは、
都知事が舞台を整えるための演出に国が振り回された、
と考えれば、なんだか腹立たしいが筋道は通っている。
ただこんな政治でも私たちが望んだ形なのだ。
「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどです。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのです。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです。」(サミュエル・スマイルズ「自助論」)
上から縛られたいけど、戦前のようなのはまっぴらごめんだから、
傑出した指導者が現れず、無能と見下せる程度の政治が無難。
というような国民の想いが反映されているのだろうか。
でも政治の舵取りが難しい局面であることは確かだ。
感染を抑えようとすると、経済が立ち行かなくなる。
ならば税金で補助というのは、長い目で見て公正と言えるのか?
短期間で終わらせるには監視社会? それでは自由が失われる。
ジレンマ? トリレンマ?
安全と経済、経済と公正、自由と安全。
あちらを立てればこちらが立たず…、世の中そんなことばかりなのだ。
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例…「時間かせぎの資本主義」が招いた危機のトリレンマ(19/08/23)
何かが切り捨てられるのは仕方がない、とあきらめるべきなのか。
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