なぜ私たちは、まぐれを実力と、たまたまを運命と感じてしまうのか?
投資の世界ではタレブ氏が、カール・ポパーの哲学などを手に斬り込んだ。
もっとおもしろいことになりそうなのが「松岡正剛の千夜千冊・連環篇」。
「なぜ人間の歴史は「たまたま」などという偶然を相手にして、一方では「運」や「不運」に一喜一憂したり、また神頼みになったり、他方では人生設計をしたり事業計画をたてたり、確率論や統計学を使って不確かな未来のことを予測したいと思うようになるのか。われわれはなぜ偶然を偶然のままにほっておけなかったのかということを、連環篇のスタートにしたかった。」※1334夜より
なんかビビッときて、今後、松岡氏が紹介する本を読み倒してみようと。
そういうわけで、木田元「偶然性と運命」を図書館で借りてきて読んでみたところ、
ハイデガーが「存在と時間」で説いた時間論の話に少し興味を持った。
木田氏によるとハイデガーの時間論の特徴は、
・現在・過去・未来はそれぞれ独立していて、集まって時間を構成するものではない
・未来を重視し、未来が開かれてはじめて、過去と現在が見えてくる
というようなことらしい。
なんとなく分かるような気がする。
何かをきっかけに、明暗にかかわらず未来を想像し、それをもとに現在を再評価、
そしてその評価にリンクする過去を拾い集めて、勝手に一本、道を通してしまう。
未来からのアプローチが、単なる偶然を運命に変えてしまうのだろうか…
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