昨年書いた記事の中で最も多くの方の目に留まったのは、
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孔子と荘子。未来に対する姿勢の違い。(20/01/20)
1月に書いたものだったが、
それからまもなく、未来が極めて不透明な世界がやってきた。
ほんの少し先の未来でさえ、自らが存在しない可能性も否定できない…。
過去も未来も追い求めず(来世は待つべからず、往世は追うべからざる)、
先の読めない未来に対し無心で遊べ(不測に立ちて無有に遊ぶ)、
と説いた荘子の教えにより共感を覚える時代が来たのではないか。
ふと思えば、人間をはじめ生命は、足し算ではなく引き算で成り立っている。
この宇宙で「エントロピー増大の法則」に逆らえる存在はなく、
すべてはコスモス(秩序)からカオス(混沌)へ収束するものだから。
私たち人間は60兆個の細胞で構成されていて、
そのうち数千億個の細胞が1日と生まれ変わる作りだから、
細胞レベルでは半年も経てば、まったく別人になってしまう。
自ら崩壊し続ける一方で、他の生物を食べて消化し、補完することで、
エントロピー増大の法則の摂理に逆らって、生きながらえている。
まさに「生物は負エントロピーを食べて生きている」(シュレーディンガー)
法則によって壊されるよりも速く、自らを壊して作り替える。
生命自体の仕組みがこんな調子なのだから、
未来に対して確固たる理想や目標を持って進もうとすることは、
どこかに歪みが生じてしまうのではないか。
だから理想や目標は持ちながらも、手放し、修正しながら、
今この時に柔軟に対応して生きていくことが大切。
それが荘子の「不測に立ちて無有に遊ぶ」姿勢なのだと思う。
そしてこれを日本流に表現したものが、この歌なのではないか。
むすんでひらいて、手をうってむすんで。またひらいて手をうって、その手をうえに。
一度決めた目標や計画(むすぶ)も、
いったんチャラにして(ひらいて、手を打つ)、やりなおす(むすぶ)。
この繰り返しが正しい人生のありかたなのだろう。
生命のあり方に逆らわないことを常に意識したい。
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