奈良文化財研究所が公開した「奈良の都の暮らしぶり」がおもしろい。
COVID-19に関連して特別興味深いのはP28からの「平城京の疫病対策」。
感染者が使用した食器は廃棄
737年に天然痘で藤原四兄弟が相次いで死亡する。
そのうちの一人、藤原麻呂邸に面する二条大路に、
藤原麻呂の死後に穴を掘って埋められた土抗があり、
これを発掘するとまだ使えそうな食器が多数発見された。
食器をキレイに洗うことが困難だったため、
感染者が使った食器をすべて廃棄することが目的だったのでは?
COVID-19の感染拡大により初めて気が付いたのだという。
なるほど「すべての歴史は現代史」なのである。
天然痘後の新しい食卓の形
また奈良時代の前半と後半で出土する食器に大きな変化があり、
前半は大きな食器が多く、後半になると小型の皿や椀が多くなる。
これまでうまく説明できていなかったが、これもCOVID-19にヒントを得た。
天然痘以前の食事は大皿料理をみんなでつつく形だったが、
感染予防のために、食卓の形が変わった可能性があるのではと。
この天然痘後の新しい生活様式が平安時代にも引き継がれてゆく。
一汁三菜の源流は天然痘パンデミックだった?
水際対策の道饗祭
最後に今回初めて知った「道饗祭(みちあえのまつり)」。
病気をもらたす疫病神をもてなして帰ってもらおうという祭祀。
現在の水際対策が古代ではこんな形だったのだ。
その道饗祭が行われた場所がこれまた興味深く、
朱雀大路の玄関口に当たる羅城門ではなく、
羅城門2本東側の通りの入口で祭祀の跡が発見されている(前川遺跡)。
なぜ中央を微妙にズレているのかというと、
その場所からまっすぐ北へ行くと壬生門に突き当たり、
その門をくぐると天皇が暮らす内裏があったから。
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