日本の色彩感覚の歴史を学びたいと思い、いろいろな本を集める中、
1979年出版の朝日選書「日本の色」がとんでもない逸品だった。
冒頭数十ページの座談会「日本の伝統文化と色」の出演者が豪華!
日本文化に関心があれば一度は著書を取ったことのある方ばかり。
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安東次男(1919~2002)俳人、詩人、評論家、翻訳家
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川村二郎(1928~2008)ドイツ文学者、文芸評論家
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高階秀爾(1932~)美術史学者、美術評論家
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水尾比呂志(1930~)美術史家、民藝運動家、放送作家
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山本健吉(1907~1988)文芸評論家
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大岡信(1931~2017)詩人、評論家
目に留まった記述をまとめておくと、
色という言葉の変化
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色という文字は、最初は男女の交わりを意味し、そこから生ずる感情の世界、さらには美しいもの一般へと意味が展開し、やがて美しいものが五色の色鮮やかさというようにさまざまの色に分化していった。
色彩よりも明暗
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日本語で形容詞になっている色は「赤」「青」「白」「黒」の4つ。いずれもその言葉のもとに植物の名を持っていない。そしてこの四色は「赤=明」「黒=暗」「白=顕」「青=漠」という光の感覚と繋がっている。
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王朝貴族の衣の色が位が高い順に「濃紫」「浅紫」「緋色」。緋色でも色の濃さを争いはじめ、濃紫と区別が付かなくなり、紫を濃くしていくうちに、最終的にはすべて黒っぽくなってしまう。
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日本人の色彩感覚の基本が「重ねる」ことにあり、明暗の観念はあっても色彩の観念が希薄。
日本人が好む色合い
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色合いは原色は野暮で、霞がかっている方が美しいという美的感覚。これは黒い目の方が焦点を深く絞れるから、日本人の目には原色だと色が強すぎると感じたから?
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飛鳥・奈良時代に極彩色が好まれたのは先進文明国への憧れを反映したもの。遣唐使が廃止され、古今和歌集ができた頃から、丹塗のような鉱物性の色から植物性の色が好まれるようになった。
清少納言と紫式部の比較から日本的な色の捉え方を探る
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色が重なり深まることに美しさを見出した紫式部。色を重ねると濁ると感じたのが清少納言。
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清少納言は外来文化に惹かれる日本人の一面が現れ、紫式部が日本人本来の色の捉え方をしている。
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日本人は自然の色を重視してきたので、色は移ろうものであり、時間の流れの中のものであるという認識が基本なのでは。
この座談会の他にも多くの執筆者によって「色」にまつわる論考が収録され、
これから読み進めるのが楽しみ。これは復刊すべきでは…。
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