文藝春秋編「世界の新常識」に収録されているコラム、
小野塚知二「産業革命がイギリス料理をまずくした」が興味深い。
イギリス料理はなぜマズイのか?
イギリスの経済史を研究する著者が、イギリス料理のまずさの歴史的背景を考察。
18世紀後半から19世紀初頭の農業革命により「村」と「祭り」が消滅した影響が大きく、
- 囲い込みにより季節の食材の宝庫である共有地がなくなり「村」が消滅
- 村の消滅に伴い、貧富を問わず高価な料理を味わう機会だった「祭り」も消滅
これにともない食文化が創造性を失い、20世紀末に至るまで回復が見られないと指摘。
著者が美味しい・マズイを客観的に分析するための方法が興味深い。
- 食材の多様性
- 食材の在地性・季節性
- 調理方法の多様性
この3つを指標として残されているレシピから判断するというもの。
食材の多様性・季節性の消滅
「一九世紀前半の数十年間に食材多様性が著しく低下し、在地食材が(それゆえ食材の季節性も)ほぼ消滅した。一九世紀中葉以降のイギリスの食は大量生産可能な農業牧畜産品、トロール漁業産品と、工業製品で占められるようになる。食糧輸入は増加した時期だが、香辛料の役割はむしろ決定的に低下した。こうして、香りと味の華やかさを欠いた、近現代のイギリスの食が登場することになる。」
レシピ上で胡椒の白黒の区別がなくなり、魚も何を使ってもいいみたいな…ヒドイ。
調理方法の多様性の消滅
「調理の基本である加熱は、一九世紀後半までに、塩茹で、オヴン加熱、油で焼く/揚げる(近代英語では油で焼く、炒める、揚げるはfryの一語で表す)の三種に収斂し、かつてあった、蒸す、直火で炙る、遠火で熱するなどさまざまな方法が消失した。また、野菜を生食するサラダも一九世紀前半には消滅し、その後はキャベツやカリフラワー、にんじん、ジャガイモ、カブなど根菜類を塩茹でしたものをクリーム系のドレッシングで和えた「茹でサラダ」が登場した。調理方法の多様性の低下は料理の味付けにもおよび、調理段階では最低限の塩・胡椒が用いられるだけとなった。むろん、そのままではまずいから、食卓で、食べる者が塩・胡椒や、グレービー、酢、ケチャップで自ら味付けるという、料理人の責任放棄ともいうべき現象が蔓延することとなった。」
日本の食文化は大丈夫?
日本の食文化は食材の多様性と季節性に特徴がある。
どこのスーパーにも生鮮食品コーナーが設けられていたり、
産地直送の生協の宅配サービス等が充実していることから、
レストランに限らず、一般家庭まで食材については問題なさそう。
しかし調理方法の多様性についてはどうなのか?
ただコンビニ弁当や出来合いの惣菜を電子レンジにかけるだけ、
味噌汁を作るにしても出汁は味の素の粉で、という面もあるように、
家庭での調理についてはかなり危ういものがある。
ならば外食で食文化を学ぶということになるが、
ミシュランガイドの国際比較等から、日本は飲食店に恵まれてはいるが、
- 美味しい料理にお金を惜しまない層の外食
- 食は栄養摂取と割り切る層の外食
という分断もあり、かつての「祭り」の役割を受け継いでいるとは言えない。
またSNSの普及に伴い、前者には見せびらかしのグルメ自慢が含まれており、
味や調理法への関心ではなく、ファッションとして食が消費されている。
とくにここ数年は日本人の外食への支出全体が伸びない中で、
グルメ自慢の成金や訪日外国人客をあてにして、
- 料理の提供価格の上昇
- 若手料理人の独立開業の増加
- 既存店舗の移転・拡大
という動きが起きていたように思う。
ここにCOVID-19が襲来し、壊滅的なダメージとなる可能性が高い。
となると今こそ家庭料理ということで、魯山人の言葉を思い出すのだが、
この半年ほどでみなさんの家庭での食事は変わっただろうか?
テレワークによる余暇を料理にあてた家庭が増えていることを期待したい。
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