フランス人の料理への誇りはいかに形成されたのか?(橋本周子)

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前回に引き続き「食の文化シンポジウム」から、
フランスの古典から食の思想史を研究する橋本周子さんの話をメモ。

2008年に当時のフランス大統領サルコジ氏は、
農業の見本市で次のようなスピーチをした。

「農業と農産物を加工する職業はいずれも私たちの国の美食の多様性の源である。来年になれば直ちにユネスコの候補に名乗りをあげる最初の国となるべく、イニシアティブを取って行動しました。私たちの美食文化が世界の文化遺産として認められるようになるために。私たちは世界で一番のガストロノミーを有していて、それが世界遺産として認められることを望んでいる。」

こうした認識がどのように形成されたのか?
その歴史を料理書や美食批評からたどる。

料理書から見る国民料理としての意識の芽生え

活版印刷術の発明された15世紀頃から料理書の流通量が増えはじめ、
17世紀になるとタイトルに「francois(フランスの)」と付されることが増える。

料理以外の分野でもこの傾向が見られ、国外との比較意識が芽生えていたことが分かる。
その背景にはブルボン王朝の文化政策がある。とくにルイ14世(1638~1715年)。

18世紀の啓蒙主義の時代には、料理がフランスの誇りとして確立し、
知識人が料理書の序文を書くことが増え、料理が「知の対象」となった。

伝説のフレンチシェフ、アントナー・カレーム(1784~1833)はこう語る。

「フランスは食材が技芸をもって調理される唯一の国である」

インテリによる美食批評からガストロノミーが生まれる

世界無形文化遺産は”les Repas gastronomiques de Francais”登録されるが、
ガストロノミーという言葉はいつ生まれたのか?

19世紀初頭の一部の美食家達が起こした流行のようなもの。
フランス革命後の混乱がナポレオン登場あたりで落ち着き、
たまたま勝ち組になった人たちが権威を示すために「食」に着目した。
またそれに伴い「食」の教養書が求められるようになった。

  • ベルシュー(1765~1839)…1801年に「ガストロノミー」というタイトルの本を出版
  • グリモ(1758~1837)…ミシュランガイドにつながるようなグルメガイドを一番最初に書いた
  • サヴァラン(1755~1826)…味覚の生理学(美味礼讃)

インテリによって語られることで「食」の地位が向上していく。

フランスと日本の違い

フレンチは貴族の元でお抱えの料理人がいて客人を招いての会食が原点。
人を家に招く中のひとつのパーツが料理だった。
それがフランス革命によってレストランやホテルに広がっていく。

しかし日本の伝統文化のように世代を超えて世襲で受け継がれず、
貴族時代のおもてなしの感覚がすべては引き継がれていない。

日本にはフランスのように知識人が「食」について語る古典が見当たらない。
日本料理は部屋のしつらえや器など、食べる側にも教養が必要とされるのになぜ?

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