投資家として世界を読み解こうと試みた当初の約10年は、
時間の捉え方が「過去→現在→未来」と一直線で幼稚だった。
最終的には大学院にまで行ったけど、そこに未来学は存在せず、
数字と論理を積み上げて必死に過去を説明しているだけだった。
「時」というものの捉え方が分からなくなったのはこのころから。
運命的な出会いによって、心の中で過去が整理・再評価され、
現在に向かって必然的に進んできたかのような錯覚を起こす。
そんな不思議な感覚は誰もが経験しているはずだよね。
→関連記事:過去のすべてが肯定される瞬間(11/07/12)
つまり人生はじめ経済や社会のこれまで(過去・現在)の評価は、
これから起きること(未来)によって常に編集し直されている。
未来が決定権を持っているからこそ「想定外」が繰り返される。
これは金融危機や3.11で顕在化した「時」と「リスク」の問題でもある。
「リスクの意識の根源は現在にあるのではなく、未来にある。リスク社会において、過去は現在に対する決定力を失う。決定権を持つのは未来である。」
-ウルリヒ・ベック「リスク社会」P47
社会学ではベックがチェルノブイリ原発事故の年にこう指摘。
また、科学哲学者のジャン-ピエール・デュピュイは、
現在進行中の人類の危機は計算可能な「リスク」ではなく、
未来に起こるものとして書き込まれた「破局」であると説き、
「時間はループの形状をなし、その中で過去と未来がお互いを決定し合う。未来は過去と同様に固定されたものと考える。」
-ジャン-ピエール・デュピュイ「ツナミの小形而上学」P14
と奇妙な時間軸を示している。
未来学を目指すのなら「未来→現在・過去」という流れで、
世界を読み解く方法に迫るべきだったのかな。。。
株価には未来が反映されているとも言われているから、
証券市場の分析から何か見つけられないかな?と考えてみたり。
コメント
丁寧な記事を書いていただきありがとうございます。
デュピュイ氏は面白そうですね。
(私は哲学も好きです)
もともと、哲学・心理学の延長で、仏教・禅宗の本を読んで、しばらく時間経過後、ビジネス書として船井幸雄氏の本から、飯田市に至った経緯です。
未来は、わからない が故に色々と考え方が出てくる。
株式投資も、以前は利益を上げようと血眼でしたが、いまは、「生きている経済・社会が最も早く異常を伝えてくる場所」として市場を見ています。
未来への警告のアンテナ機能があるかもしれないと。
私のブログにリンクさせていただきました。ご了解いただければありがたいです。(やっとリンク方法がわかったので(笑))
まるまるまるたさん、リンクありがとうございます。
ところでなんですが、
なんで「まる」が3つも続くのですか?
すっごい素朴な疑問です。
リンクご了解ありがとうございます。
いやぁ、実は初め「まるまる」で、HNにしようと思っていたのですが、すでに別の人がいて・・・重ならないように、伸ばしていくと「まるまるまるた」に・・・。
こんなしょーもないことに、こだわらんでもって感じですが(笑)。
>こんなしょーもないことに、こだわらんでもって感じですが(笑)。
これは自分への(「まる」にこだわらなくても)突っ込みです。
よく文章を見ると、ブログ主様への言葉のように受け取られかねない表現になっており、申し訳ありませんでした。
私なら「まろまろまろ」ってとこかな。
このさい「×3」と短縮しちゃうとか(笑)