今はどうだか知らないが、私が高校生だった1990年代後半は、
「文系と理系のどちらを選択するか?」
という問いに対して特に深くも考えずに、
「数学が苦手か、得意か?」
という問いにすり替えて選択する人が多かったように思う。
私はというと、数学が苦手でも得意でもなかったので、
科目なら社会が好きだからと文系を選び、法学部に進んだ。
でも在学中に株式投資に出会って以降は数字と戯れる日々で、
数学嫌いの文系で経済学部や商学部って意味不明だなと感じていた。
そもそも文系と理系とは何なのか考えもせずに…
隠岐さや香「文系と理系はなぜ分かれたのか」には、
ヨーロッパにおいて学問が、宗教や王権から自立する際の方向性に、
文系と理系を分かつ原点があるのだ、という記述があった。
なるほど歴史を振り返ると、
文系・理系なんて分けない方が教養が身についていいのでは?
なんて軽々しく言ってはならないことが分かるのだった。
理工系・人間はバイアスの源
「神の似姿である人間を世界の中心とみなす自然観」から距離を取るという方向性です。それは、人間の五感や感情からなるべく距離を置き、器具や数字、万人が共有できる形式的な論理を使うことで可能になりました。文字通り、「客観的に」物事を捉えようとしたわけです。その結果、たとえば地球は宇宙の中心ではないし、人間は他の動物に対して特別な存在でもないという自然観につながりました。
人文社会系・人間は価値の源泉
神(と王)を中心とする世界秩序から離れ、人間中心の世界秩序を追い求める方向性です。すなわち、天上の権威に判断の根拠を求めるのではなく、人間の基準でものごとの善し悪しを捉え、人間の力で主体的に状況を変えようとするのです。その結果、たとえば、この世の身分秩序を「神が定めたもの」と受け入れるのではなく、対等な人間同士が社会の中でどう振る舞うべきかをさぐったり、人間にとっての価値や意味を考えたりするための諸分野がうまれました。
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