本当の強さとは?/荘子・達生篇「木鶏」

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大相撲の1939年1月場所。
70連勝がかかった一番で敗れた横綱、双葉山が、
師匠と仰ぐ安岡正篤にこんな電報を送ったという。

「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」

その「木鶏」の由来は「荘子」の達生篇に描かれている。

闘鶏を育てる名人、紀悄子へ鶏を預けた王が、
10日おきに仕上がり具合を尋ねるが、
3度に渡って「まだです」と下記の理由と共に答える。

  1. 方に虚憍にして気を恃む(虚勢を張って気負っています)

  2. 猶ほ嚮景に応ず(まだ他の鶏の鳴き声や姿にいちり立ちます)

  3. 猶ほ疾視して気を盛んにす(まだ他の鶏を見ると、にらみつけて血気にはやります)

そして闘鶏として仕上がると、鶏の様子をこう表現する。

鶏に鳴く者有りと雖も、すでに変ずる無し。

之に望むに木鶏に似たり。

其の徳は全し。

異鶏に敢へて応ずる者無く、反りて走る。

遠目には木彫りの鶏のように何事にも動じず、
他の鶏は向き合うことができず、背を向けて逃げ出すほどになった。

他者を意識せずに無心で物事に対峙することそれが真の強さなのだと。

今のような時に投資を続ける上で一番大切な心がけだろうけど、
アメリカで何度もサーキットブレーカーが発動するのには、さすがに驚くね。

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