理想は「やむをえず」の境地にある/荘子・刻意篇

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「やむをえず」という言葉の源流は、荘子にあるようだ。

刻意篇では聖人を目指そうとする次の五つのタイプを示した上で、

  • 世俗から離れ、高らかに理想を論じて世間を見下す者
  • 人々に仁義忠信を語り、徳の大切さを論ずる者
  • 天下を治める方法を説いて、名声を得ようとする者
  • 人里離れた地に隠遁し、無為を決め込む者
  • ただただ不老長寿に心がける者

これらの者に足りないのは「恬淡寂漠、虚無無為」の心境であり、

「福の先と為さず、禍の始と為さず。感じて而る後に応じ、迫られて而る後に動き、已むを得ずして而る後に起ち、知と故とを去りて、天の理に循う。」

人々に福を恵んでやろうと考えず、また災いで懲らしめようとも思わない。
外からの働きかけを受けて初めて応じ、差し迫られて初めて動き出し、
やむ得ない状態に初めて立ち上がる。
知恵や意志を捨てて、ひらすら天の理に従うべきだと説く。

このような受け身の生き方は、今の世の中では批判の対象になるかもれない。

でも人は自ら強い意志を持って動くと、自分の判断に執着してしまいがちだ。
想いを込めるほど、後々諦めるべき時が来たときに断ち切れなくなる。
うまくいったとしても、過去の成功体験に縛られて、身動きできなくなることも。
これは投資で損失を膨らませる、ありがちな失敗パターンでもある。

そして現代はたくさんの情報に、たくさんの選択肢がある、豊かな時代。
選ばなかった過去が美しく見え、後になって自分の選択に後悔しやすくなった。

だから何かを選択して行動するときは、
「これがいい」という強い想いは捨て「これでいい」と小さくあきらめる。
欲望を追求せずに「やむをえず」選択した先に、真の豊かさがあるのだろう。

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