山下氏が日本美術の二つの系譜を示し、
「二つのライン、その間の幅が非常に広いことが、実は日本美術の豊かさだと思うんです。おそらく、どちらかだけでは成立しなかったでしょう。利休のわびさびみたいなものは、一方で桃山の絢爛な世界があるからこそ成り立つんです。あれがあるからこそ引き立つ、コンセプチュアルアート。」
こういう感じって美術品に限らず、
「無常→数寄→幽玄→わび・さび」の系譜の対局には、
「傾奇」の世界が常にあったのと同じ感じ。
1336年に足利尊氏が定めた「建武式目」の17ヶ条の一番最初に、
一 倹約を行はるべき事
近日、婆左羅と号し、専ら過差を好み、綾羅、錦繍、精好、銀剣、風流、服飾、目を驚かさざるはなし。 すこぶる物狂いといふべきか。
婆左羅(バサラ)や過差(分不相応なぜいたく)の禁止を
幕府の施政方針に掲げなければならないほど、世の中は傾奇ブーム。
平安末期から田楽や今様など「過差」が日本を席巻し、
その対極で西行や一休のような人物によって日本の心が創られた。
対極にある二つのものがせめぎ合い、高みを目指して進んでいく。
この流れはどんな分野にも起きることだと感じるのは、
私たちの知性の限界による後付け解釈にすぎないのか、
それとも世の中はこのように動くものなのかはよく分からない。
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