幸福と成功、希望について/三木清「人生論ノート」

本棚の隅で忘れられていた、三木清の「人生論ノート」。

表現が回りくどくて、すぐに放り出してしまったのだが、
今月放送のNHK「100分de名著」で再発見することができた。

番組自体は去年春の再放送で見ていたはずなのだが、
なぜか今回はもう一度、本を手にしてみようという気になった。

「幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん、他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことをなしえるだろうか。」(幸福について)

社会を良くしたいと話す人自身が、まったく幸せそうに見えないことがある。
自分を幸せにできない人が、他人の幸福を語るのは虚栄心にすぎない。

「名誉心と虚栄心とほど混同されやすいものはない。・・・虚栄心が対世間的であるのに反して、名誉心は自己の品位についての自覚である。」(名誉心について)

また近代社会においては進歩を成功とみなす観念が増長し、
倫理の中心が幸福から成功に移ってしまったことを嘆き、こう語る。

「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解しえなくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。」(成功について)

成功は進歩の「過程」に現れるものであり、
幸福には本来、進歩の概念はなく、ただそこに「存在」しているだけ。

そして幸福を成功と同じと見ている者は嫉妬心を抱きがちだと指摘する。
嫉妬の愚かさを強調した上で、そこから逃れる方法として個性をあげた。

「嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるだろう。」(嫉妬について)

最後に希望について。

「人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。・・・希望は運命の如きものである。・・・もし一切が必然であるなら希望というものはありえないだろう。・・・人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。」(希望について)

単に希望を持つことは期待にすぎず、失われるものだ。
偶然にもとづく希望であれば、状況に応じて形を変え、失われることはない。

「希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によって完成に達する。」(希望について)

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