荘子と徒然草の人生論。人が未来を憂い、現在の欲望を抑えることは難しい?

これだけ暑い日が続くと、地球温暖化を身近に感じる人が増えるだろう。
でも将来的な気温上昇に備え、これまで何か行動してきたかというと…。

まぁ人間とはそんなものだと思う。
そもそも世界は主観的にしか捉えられないし(ユクスキュル「環世界」)、
不老不死の力でも手に入れないかぎり、遠い将来を真剣に考えるのは難しい。

そして古典で訴え続けられていることと言えば、
未来や過去に振り回されず、今この時に目を向けよ!
と説いたものばかりなのだ。

以下に荘子徒然草の思想を抜粋するが、
今を楽しむことが豊かな人生の真髄であるならば、
未来を憂い、現在の行動に移すのはかなり難しいことなのかもしれない。

荘子「無窮に遊び、心に天遊を!」

未来に対して確固たる理想や目標を持って進もうとするのではなく、
まずは目の前の現実を素直に受け入れ、それに順応していく。
未来を予測することは行動を縛られることだと荘子は考えた。

「明王の治は、功は天下を蓋えども、おのれよりせざるに似たり。化は万物に貸せども、しかも民たのまず。有れども名を挙ぐるなく、物をして自おのずから喜ばしむ。不測に立ちて無有に遊ぶ者なり。」(応帝王編)

賢明な君主(明王)とは何か?と問われれば、
先の読めない未来に対し、無心で遊ぶ存在であるとし、

「天地の正に乗じて、六気の弁に御し、以て無窮に遊ぶ者は、彼はたなにをか待たんや。」(逍遥遊篇)

自然の変化に身を任せ、世界をどこまでも遊ぶ者は、
何者にもとらわれることなく、生きることができる。
※六気…自然の変化、無窮…無限

「物に乗じて心を遊ばしめ、やむを得ざるに托して中を養う。」(人間世篇)

ありのままを受け入れることが最上の生き方であり、

「適たま得て、幾し。是に因るのみ。のみにして其の然るを知らず、これを道という。」(斉物論篇)

自然に身を任せた先の、たまたまの出逢いに「道」がある。
※適たま…たまたま

補足だが上記のような荘子の思想は、

  • 「道」を極めるには、まず「志を立てよ」と説いた孔子に対する批判
  • 占いによって政策を決めようとする当時の王に対する批判

に由来するものと言われている。

徒然草「刹那を生ききる」

荘子の「遊」は為政者に向けて書かれているため、
より個々の人生に寄り添った古典をあげるなら、兼好法師の「徒然草」。

南北朝時代の動乱を生きた兼好法師が、
「徒然草」全編に渡って繰り返し訴えていたのは、
今この時を精一杯生ききることの大切さだった。

「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。」(41段)

「若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。」(137段)

「生・住・異・滅の移り変はるまことの大事は、猛き河のみなぎり流るるがごとし。しばしも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。」(155段)

人の死は思いがけず訪れるもの。

「人は、ただ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。」(49段)

私たちは常に死と隣り合わせに生きていることを忘れてはならない。

この世は「無常」、「常なるもの」などないのだから、

「大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つるべきなり。」(59段)

「必ず果たし遂げむと思はむことは、機嫌を言ふべからず。」(155段)

「一生のうち、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひすてて、一事を励むべし。」(188段)

もし今、胸のうちに「これ!」と決めたものがあるのなら、
タイミングを選んだりせず、今すぐやりなさい! と説いた。

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