バートランド・ラッセルの「幸福論」に続く、
富と幸福に関する名著を読み直す2冊目は、
ドイツの哲学者、ショーペンハウアー(1788~1860)は、
西洋思想史上で初めて仏教思想を取り入れた人物。
私は未読だが主著の「意志と表象としての世界」は、
欲望を追い求める意志を否定するための求道の哲学と紹介され、
これだけでもなんとなく仏教的な雰囲気が感じられる。
「幸福について」は、晩年の書「余録と補遺」の中から抜粋され、
原題は“Aphorismen zur Lebensweisheit(処世術の箴言)”
この中で人間の幸・不幸は次の3つの要素で決まると説いている。
- 人としてのあり方、人柄(この中には健康、力、美、気質、知性も含む)
- 所有物や財産など持っているもの
- 他者の評価、すなわち名誉、地位、名声等
2と3は互いに原因と結果が入れ替わるので、セットと考えてよく、
この2つよりもとにかく大事なのが1番目の「人としてのあり方」。
「現実の自然な欲望を満足させる以外に、富によってなしうることといえば、われわれの本当の幸福感にとっては影響の少ないことばかりで、むしろ大きな財産の維持のために不可避的に生ずる数々の心労のために、かえって幸福感が損なわれるくらいである。しかし何といっても、人としてのあり方の方が、人の有するものに比して、われわれの幸福に寄与することがはるかに大であるにちがいない。」
私が株式投資をはじめた二十数年前に比べると、
「投資で資産形成」という言葉が一般的になってきた。
お金を殖やすための方法論が数多く語られているが、
損得や勝ち負けの視点でのみ投資を続けるのは危険だ。
資産の規模が膨らむとともに、保有資産の変動額が大きくなる。
やがて1ヶ月間の変動幅が、仕事の月収を上回るようになった時、
証券市場の気まぐれな変動に、感情を支配されてしまうのでは?
なぜお金ばかり追いかけることが不幸を招くのかといえば、
「本当の精神的な教養がなく、知識もなく、したがって精神的な仕事をなしうる基礎となるような何らかの客観的な興味を持ち合せていないからだ。」
「富を殖やすための手段の世界を自己の視界とし、この狭い視界から外に出れば、何ひとつ知らない。」
仕事が充実していて積立投資の口座を確認する暇もない。
そんな生活をできていれば、とくに心配はいらない。
でもそうでなければ、お金が増えても減っても楽しめる、
そんな投資との向き合い方が大切なのではないだろうか。
投資を始めてみようと一歩を踏み出せたなら、好奇心旺盛なはず。
その好奇心をお金ではなく、投資先企業や世の中の動きに向けるだけ。
視野を広げるための手段として、夢中になって楽しんでいたら、
後で振り返った時、なぜか良い投資判断ができてしまっている。
これが私が理想とする投資家のあり方だ。
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