中学生の頃からかな、夕食後、母と日本茶を1杯飲むのが習慣化している。
嫌なことがあったりしても、その日の終わりに、美味しくご飯食べてお茶飲み、
ふぅ~と息でもはいてのんびりを味わえば、肩の力が抜けるものじゃ。
ある時ふと、なんでこういうお茶の飲み方してるのかな?と疑問に感じた。
17世紀のイタリア人宣教師のマテオ・リッチは、
「日本と中国では茶の飲み方が少しちがっている。日本人は茶の葉を粉にしてスプーンに二、三杯茶碗に入れて熱湯を注ぎ、かきまぜた上飲み干すが、中国人は茶の葉を熱湯入りのポットに入れて熱い湯を飲み葉を残しておく」
なんて文章を残しているらしい。(角山栄「茶の世界史」より)
そう、今の日本人は、中国茶や紅茶の飲み方で、日本茶を飲んでいる。
勝手な仮説だけど、日本独特の、つまり茶道のお茶の飲み方は、
形にこだわりすぎて、一般には受け入れられなかったんじゃないかな。
(茶道家に怒られそうだから今度、岡倉天心の「茶の本」を読みますです)
最近、形にこだわりすぎの商品・サービス戦略が展開されてる気がする。
高付加価値の商品・サービスに高めの対価を支払ってもらうことで、
会社の利益率を上昇させようってな戦略。長い目で見てうまく行くのかな。
お金儲けが目的でなかった茶道でも広く受け入れられなかったのに…。
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