昨年後半、哲学や社会学を探究する中で、
古代日本には哲学というものは存在しなかったが、
その代わりに、恋を通して世界を読み解こうとしていた。
私の中でそんな結論に達している。
海外に目を向けると思想や哲学を書き表した古典は、
- 中国では老子や孔子
- 孔子と同世代のインドの釈迦
- 孔子・釈迦と約一世代後にギリシアのソクラテス
と紀元前に生きた人々に関するものが多い。
その頃の日本はというと…、そもそも文字がない!
だから歌で表現する以外に方法がなかったと言える。
そうなると漢字・ひらがなで書かれた初めての和歌集、
古今和歌集の編集方法に何らかの思想が込められている?
古今和歌集は全20巻。
うち5巻が恋歌の巻となっており、
- 今後の恋に思いをはせる歌
- 胸中の人に逢いたい想いを込めた歌
- 恋が成就した前後の思いを詠んだ歌
- うつろいやすい恋心を嘆いた歌
- 終わりを告げた恋を詠んだ歌
と恋愛の時の流れを意識した編集をする力の入れよう。
そして恋歌の5巻目最後を飾る一首が、
流れては 妹背の山の 中に落つる
吉野の河の よしや世の中
吉野川のように男女の思いは行き違い、融け合うのは難しい。
しょせん世の中こんなものだよね、って想いを込めた和歌。
人生すべて恋のごとし!
そんな古今集の編者の意図が見え隠れする。
日本の思想史を読み解く上で恋愛は不可欠なんだろうなぁ…
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