神田明神ケバケバの謎。中国・明の滅亡が影響か?

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神田明神は1300年近い歴史を持つ由緒正しい神社。

でも日本らしさが感じられない変わった雰囲気だ。

すべての「」がキツくて中国的な色づかいに思える。

神田明神

ただの石ころにも神を宿して願いかけるような

何もないところに神を感じる力が日本的
だと私は思う。

だから豪華な神殿は日本人の伝統的な神感覚とズレている。

なぜ神田明神はケバケバになってしまったのか?

ヒントは江戸幕府が開かれた頃の中国史にありそうだ。

神田明神は730年に現在の大手町あたりに創建。

その後に平将門がこの神社の近くに葬られ(935年)、

1309年に正式に将門が主祭神として祭られるようになる。

戦国時代には武将たちから崇拝される神社となり、

徳川家康が関ヶ原の戦い(1600年)の前に戦勝祈願。

1616年に江戸城の表鬼門にあたる現在の地に移転、

幕府により社殿が造営されたという。

この時期、中国大陸では漢民族の王朝「明」が、

異民族の「清」の侵攻を受けて苦戦中(1644年に滅亡)。

中国を世界の中心と見立てる中華秩序。

明の異変で日本国内も思想的に揺れていたのか、

山鹿素行(1622~85年)のように「中朝事実」で、

明が滅んだなら、今後は日本が「中華(=世界の中心)」。

そもそも天皇制が途切れることなく続いている日本は、
異民族(元や清)で途切れている中国より正当派じゃないか。

というような主張をした儒学者もいる。

中国に代わって中華を主張したかった時代背景もあり、

神田明神はもちろん日光東照宮も中国風なのかもしれない。

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