先日、NHKスペシャルで南海トラフ地震の特集を見て、ふと思う。
伊勢神宮は妙に都から離れているが、災害に強い場所とは言えない。
検索してみると、いくつか過去の被災の記録も見つかる。
- 伊勢神宮外宮の被害からみた康安元年の地震(1361年の南海トラフ地震)
- 伊勢神宮 伊勢湾台風被害写真(1959年の台風15号)
もちろん20年に1度建て替えるから、壊れても平気…なわけない。
となると、あの位置でなければいけない理由がなにかあったに違いない。
1988年に出版された渋谷茂一「巨大古墳の聖定」。
歴史学者ではなく、IT技術者が当時のコンピュータを駆使して、
古墳・神社・山頂などを直線で結ぶと図形が現れることを紹介した一冊。
「聖地の位置の選定=聖定」には何かしらの意味があるに違いない!と。
この本が書かれた当時は限られた人にしか検証ができなかったが、
今ではGoogleマップ上で「右クリック→距離を測定」で簡単に計測できる。
伊勢神宮関係で気になった図形を作ってみると、
伊勢神宮は天武天皇・持統天皇の時代に社殿が整備される。
また宮滝遺跡は吉野宮があったとされる場所。
壬申の乱の際、大海人皇子(後の天武天皇が)がここで挙兵。
よっていずれも天武天皇にゆかりの地と言える。
伊吹山はヤマトタケルがこの山の神に返り討ちにあい、後に死亡。
敗れた原因は、妻ミヤズヒメの元に草薙剣を置いて討伐に出かけたから。
ミヤズヒメの館は尾張国にあり、それが熱田神宮の起源になる。
こちらはヤマトタケルにゆかりの地。
だから何?と言われても分からないけど、なんだか不思議な話だ。
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