中国の文化は「六朝の書、唐の詩、宋の画」と称される。
その六朝時代を代表する書家が王羲之(303~361年)。
ちょっと前に書いた
は日本人というより表意文字を使う漢字文明圏の特徴。
その大元をたどると王羲之にたどり着くのだという。
「西暦350年前後を生きた王羲之の草書の手紙が、書という表現の鍵を握っています。王羲之の手紙に書かれた草書の文字が、現在もなお東アジア全域にまたがる書のスタンダードです。みなさんが普段書かれる文字の基準も、遡っていけばここにたどり着きます。」(石川九楊「九楊先生の文字学入門」P25)
日本語の起源をたどると紀貫之が重要人物だけど、
もっとたどると王羲之に行き着くということか。
文字と人の活動を振り返るなら、
下記の流れで簡略化が進んだといえるだろうか。
- 刻む…亀の甲羅や牛の骨に文字を刻む
- 書く…紙や木簡に毛筆で書く
(刷る…活版・木版印刷で増刷する) - 打つ…キーボードで打つ
印刷術の発明が音読から黙読への転換点だったように、
「書く」から「打つ」ことへの変化は、
私たちの脳内で何かしらの処理回路の変更を起こしている。
うまく表現できないけど、知性と感性の分断みたいな感じ。
それがベタ誉めと罵倒が交差するネットの世界の背景かな。
王羲之が残した「蘭亭序」という書作品にこんな一節がある。
※下記の画像ファイルの赤く囲った部分。
「後の今を視るは、またなお今の昔を視るがごとし」
昔を懐かしむ想いは、いつの時代もあるものだろう。
でも良い文章を作るには「書く」機会を増やした方がいいかも。
だから私は書道も習い始めるのだ!!
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