日本文化論の古典として有名な「いきの構造」。
もちろん「いき」とは江戸時代の美意識「粋」だけど、
様々な読み方ができる、なんだか不思議な一冊。
九鬼周造は「いき」の特徴を3つに分けている。
説明部分をまずは原文のまま引用すると、
- 媚態…媚態とは一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。
- 意気地…媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強みをもった意識
- 諦め…運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心
このままだと分かりにくいので編集し直す。
- 媚態…少し仲の良くなった男女の友達以上恋人未満の関係性
- 意気地…相手に媚びを売ったりせずに、つかず離れずの距離感を保つ
- 諦め…多くの恋は成就しない運命にあることへのあきらめ
九鬼がこの「いきの構造」を皮切りに、
次々と「偶然」に関する論考を書き残しているから、
単なる男女関係を論じたものではないのだと思う。
恋愛の中に自己と他者との根源的なあり方を見出し、
人と世界が交わる時に起きる偶然とどう向き合うか?
こんな風に考えて書かれたものなんだろうなぁ。
友達関係、恋人関係など個々人の関係性をはじめ、
自分と世の中との関係を固定すれば安心は得られるが、
関係がゆらぐことによる驚きや感動が失われてしまう。
最近、書いてきたことともなんとなくつながってくる。
さらには「たまたま」と「まぐれ」の海である株式市場。
媚態、意気地、諦めの三要素は投資の心得にも思えてくる。
恋も投資も偶然への賭けであることは同じなのだから。
なぜ、私たちは恋をするのか?
案外それが世界を読み解く究極理論だったりして。
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