日本が哲学に目覚めた時期が遅いのはなんでだろう?
西洋では古代ギリシア、中国では戦国春秋時代だけど、
日本は空海(774~835)あたりでようやくはじまる感じ。
おそらく日本では長らく無文字社会が続いたことから、
「考える」よりも「感じる」ことが大切だったのだろう。
だから哲学の代わりに恋の和歌があるのだ。
以前はどうでもよかった物事が美しく見え始めたり…
そんな恋が起こす心の変化を歌に残す。
あはれてふ ことこそうたて 世の中を
思ひはなれぬ ほだしなりけれ
「あはれ」と恋歌を詠まずにいられない想いがあるから、
出家をせずに現世を生き抜きたい。(小野小町・古今集939)
※あはれ…喜怒哀楽すべてを含んだ「!」的な感動詞
ところでなぜこうした心の動きが起きるのか?
社会学の分野に気になる本がある。
- ニクラス・ルーマン「情熱としての愛」
主張の詳細はさっぱり理解できないけど、
気になる部分をちぎって勝手に解釈すると、
「愛の再帰性にとって不可欠なのは、こちらの感情と相手の感情が呼応することが双方の感情に基づいて肯定され探し求められるということ、言い換えれば私自身が愛する者としてまた愛される者として相手から愛され、相手も愛する者としてまた愛される者として私から愛されるということ、つまり自らの感情と相手の感情が呼応することなのである。」P211
本来の自分を探す旅が禅の悟りの過程であるように、
私たちは自分自身を正しく理解するのが難しい。
だから他者の瞳の奥にある自己像に頼ろうとしてしまう。
最近はお手軽に共感や結びつきを得られるようになったけど、
どれだけ”Like”集めても”Love”にかなわないに決まってる。
だから愛する人の瞳に映る世界像、そして自己像を見てみたい!
そんな無意識の心の動きが自分自身の世界を見る眼を変えていく。
「愛ゆえの行為は、相手にひたすら順応するだけではないし、相手に気に入られるためのみでもなく、相手の願いを叶えるだけのものではない。問題となっているのは、相手の世界の中で意味を見つけ出すことである。こうした意味は、相手にとって何がよいものであるかをついに分からずにリスクを侵さざるをえないし、そうであるにもかかわらずやはり愛を拠り所としなければならない。」P269
相手の幸福の中に自分自身の幸福を見出すことの難しさ。
そして長続きしないからこそ、その悲しみを歌に詠む。
古代の日本人は恋の和歌で哲学し、人生論を語っていたのだ。
コメント