夢に迫るべく、フロイトやユングを読まなきゃと思いつつ、
いや夢なら明恵上人だ、などと考えながら少しも進まず…。
とりあえず小野小町の和歌でもまとめてみよう。
古今和歌集に小町の歌は18首あるが、そのうち6首が夢の歌。
古今集の撰者の編集術(紀貫之の手腕か?)もおもしろい。
逢いたい想いを夢に託した3首。(古今集・恋歌二 552~554)
思ひつつ 寝ればや 人の見つらむ
夢と知りせば さめざらましを
うたたねに 恋しき人を 見てしより
夢てふものは たのみそめてき
いとせめて 恋しき時は むばたまの
夜の衣を かへしてぞ着る
この時代、夢は今後の運命を予言するものと信じられていた。
だからこそ夢に想いを託そうとした(夢てふものはたのみそめてき)。
ちなみに古今集は恋歌一~五と恋の歌を五巻に分けているが、
- 今後の恋に思いをはせる歌
- 胸中の人に逢いたい想いを込めた歌
- 恋が成就した前後の思いを詠んだ歌
- うつろいやすい恋心を嘆いた歌
- 終わりを告げた恋を詠んだ歌
と恋愛の時の流れを意識した編集がされている。
これを知らずに古今集を読むのはもったいないから覚えといてね。
さて、次に小町の夢歌が登場するのは、恋歌三の巻(656~658)
うつつには さもこそあらめ 夢にさへ
人目をよくと 見るがわびしさ
限りなき おもひのままに 夜も来む
夢路をさへに 人はとがめじ
夢路には 足もやすめず かよへども
うつつに一目 見しごとはあらず
恋がいったん成就すると、逢いたい想いを抑えがたくなる。
それなら夢で逢いたいと願うけどままならない。そんな三連歌。
この時代の夢がいかに大切だったかがよく分かる。
日本の古典に現れる夢の変遷を追ってみるのもおもしろいかな。
おまけで最後に古今集・恋歌五(797)の小町の歌。
色見えで うつろろふものは 世の中の
人の心の 花にぞありける
花の色はその色があせていくのが見えるけど、
人の心の花は気づかないうちに色あせてものだった。
色あせ散りゆく花よりも、うつろいやすい恋心。
終わりを告げた恋を詠んだ恋歌五の巻にふさわしい一首。
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