夢窓国師(夢窓疎石)。
鎌倉末期~室町初期を生きた臨済宗の禅僧で、
天皇から7つもの国師の称号を贈られた人物。
これまで枯山水や幸福論の文脈で紹介してきたけど、
調べてみたら桜の和歌を多く詠んでいた。
「正覚国師御詠」の中から何首か紹介しよう。
誰もみな 春は群れつつ 遊べども
心の花を 見る人ぞなき
世間一般の花見を批判し、心の花に目を向けよと説く。
同時代を生きた兼好法師も
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。・・・咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。・・・すべて月・花をば、さのみ目にて見るものかは。」(徒然草・137段)
と残したように、
心の中で花を咲かせることが中世の美学。
夢窓が美意識の高い文化人だったことが伺い知れる。
また足利尊氏が夢窓の元を訪れた時に詠んだ和歌。
尊氏もまた桜の散った後の西芳寺を好んだようで、
心ある 人の訪ひ来る 今日のみぞ
あたら桜の 咎を忘るる
心ある人(=尊氏)は訪れた今日だけは、
散りゆく桜の定めを忘れることができる。
盛りをば 見る人多し 散る花の
後を訪ふこそ 情けなりけれ
満開をすぎて桜の良さが分かる尊氏は情けを知る人。
すなわち心の中に散らぬ桜を持っている人物だと。
夢窓の尊氏賞賛は有名で、
南北朝時代の歴史書「梅松論」の中では
「仁徳を兼ね給へるうえに尚大いなる徳有るなり。」
仁徳を兼ね備えている上に、さらに3つの徳があり、
- 戦いに臨んでも微笑をたたえて恐れない勇気
- 思いやりがあり、敵をも憎まない寛容さ
- 富への執着がない
こんな将軍は末代まで現れないだろう、と称していたという。
歴史書はその時代の権力者に有利な内容になるものだけど、
和歌も残っているのだから、尊氏は偉大な人物だったのかも。
晩年にこんな桜歌を残しており、
これやまた 春の形見と なりなまし
心に散らぬ 花の面影
行く末の 春をも人は 頼むらむ
花の別れは 老いぞ悲しき
桜への想いは西行に似たものもあったかもしれない。
でも夢窓の桜観を最も表したのは、
見るほどは 世の憂きことも 忘られて
隠れ家となる 山桜かな
山桜の花そのものが世俗から切り離された隠れ家。
夢窓にとっての桜は、心を整えるための花だった。
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