日本史で「夢」と言えば「夢記」を残した明恵上人が有名。
この人の夢に対する感覚は不思議なものがある。
叔父の上覚が、
見ることは みな常ならぬ うき世かな 夢かと見ゆる ほどのはかなさ
はかない夢よりも、なおはかないこの世を嘆いたのに対し、
明恵はこう返歌をする。
長き世の 夢を夢ぞと 知る君や さめて迷える 人を助けむ
この歌には様々な読み方があり、主に2つ。後者に注目。
- この世が夢と分かっているあなたが迷える人を救うべき
- 夢から覚めて迷うのは、夢が足りないからだ
夢が足りないから人生に迷う。。。
同時代の流行歌(今様)をまとめた「梁塵秘抄」には、
仏は常にいませども うつつならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ
仏は常にいるはずなのに、「うつつ(現実)」には見えない。
「人の音せぬ暁」に夢の中でこそ現実になるのだ。
夢や夢 うつつや夢と わかぬかな いかなる世にか 覚めむとすらむ
夢はまことに夢なのか、それとも夢が現実なのか…。
だんだん分からなくなってくる。(新古今1972・赤染衛門)
恋しい人はもちろん、神や仏も夢でしか会えない。
だから夢うつつの世で、たしかに見える「月」に願いを託す。
最後に和泉式部の名歌。
暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遥に照せ 山の端の月
山の端の月は西に傾く月を表し、西方浄土への導きを願う歌。
悩み抜いた末に「月」へ逃避するのもまた日本文化の特徴かな。
コメント
「月へ向かう日本人の視線」て、いつ確立したのでしょう?
ワタクシの記憶では、月へ向かう「タテの視線」を獲得したのは『竹取物語』が最初かな、と思ったのですが。(それまでは、地上とか海の彼方とか「ヨコの視線」て感じがします。いや、分かんない、テキトー(汗))
平安時代、「夢に恋しい人が出てくるのは、その相手が自分のことを想っているからだ」と考えられていましたよね(泉鏡花『春昼・春昼後刻』に出てくる小野小町の歌とか・・)。
ワタクシ、この考え方結構好きです(笑)
明恵上人&梁塵秘抄、チェックしてみます。
>「月へ向かう日本人の視線」て、いつ確立したのでしょう?
にお答えして、今日の記事を書きました。
「日本はいつから「月」に目覚めたのか?」
http://www.pixy10.org/archives/30491103.html
小野小町の夢歌はここにまとめてます。
http://www.pixy10.org/archives/16731284.html
よかったらこちらもどーぞ。