まぐれと実力の取り違え

前回の「意味の渇望に引き続き、周囲と話がかみ合わないこと。
それは「まぐれと実力の取り違え」。これがどうにもならない。
しかし正直に言うと、これには私自身もとらわれていた過去がある。

20代後半の幸運に、まるで武勇伝があったかのような幻想をいだいた。
起こりうるすべての可能性の中から、1つが偶然に実現しただけなのに。
そこには私自身の将来を見通す力などまったく関与していない。
やってくる偶然と迎えにいく偶然がたまたま出会った。それだけだ。

最近、とくに悩ましいのが同世代の住宅ローン
有名企業で結構いい給料もらってるもんだから借入額がデカイ。
でも、彼がその企業に就職したことはほとんど偶然だし、
その企業の業績が安定していて、今、給料がいいのもたまたま。
そんな偶然の今に合わせて算出された長期の返済計画…。
企業価値評価のように数字の遊びで済む話じゃないからなぁ。

私たちは今日真実であることが、明日も真実であると勘違いしがち
ちょっとした偶然が明日の景色を変える力を持っているというのに。
私たちの脳は規則性を望むが、この世は不規則な出来事の集合体
そして、世の無常は理解しても、自分だけは違うと思い込んでしまう。

さて、絶頂期を過ぎ、ここ数年なんとなく低迷が続く私の頭をよぎること。
いい時期があれば悪い時期もある。人生はサインカーブのようなものだ。
だからとくに収入面でいい時期には、生活を大きくすることは避けたい。
そしてなにより、まぐれを実力と取り違えてはならない。