「それって何の意味があるの? 将来何の役に立つの?」
みたいに問いかけられてばかりの気がする。(15歳の頃にはすでに…)
「意味? そんなの考えたことないけど…」とモヤっとしてたけど、
最近になってかなり頭の整理ができて、
- そもそも人生に意義や目的はない
- それでも求めてしまうのは現代人の贅沢病にすぎない
時の捉え方についても分かってきたことがある。
普遍性を求め、時を「線」で繋ごうとしがちだけど(たぶん欧米的)、
瞬間の美とか時を「点」で捉えるような日本古来の考え方が正しく、
その時々に興味を持ったものを徹底的に楽しめばそれでいい。
うまく切り返せるようになったと思ったけど、なんか話がかみ合わない。
「意味」や「未来」への問いは、「お金になるかどうか」ってことみたい。
なんだか会話をするのがめんどくさい。。。
コメント
自分の趣味についてその意義を問われようものなら、私は
「皆人に 一のくせは あるぞとよ これをば許せ 敷島の道」
という慈円の歌で返事をしようと思っています。
>それでも求めてしまうのは現代人の贅沢病にすぎない
竹中平蔵氏が佐藤雅彦氏との共著で紹介していたケインズの言葉を思い出しますね。
『食べていけるかどうかを問題にしているうちはそれなりに幸せで、そこから先、衣食住がある程度満ちて、自分はどう生きるか、自分の幸せとは何か考えはじめたら、こんな厄介なことはない。だから、経済学者の仕事が終わったときに、実は本当の人間の問題が始まる、という言い方をケインズはしているんです。
しかし、同時に難しいのは、「どう生きるべきか」なんてことを言っているのは人類の中でも限られたごく一部の人間だということです。
(中略)
そしてもう一つ重要なのは、我々はそういう時代になって、新しい問題に直面すると同時に世界の大部分の人が今日口に入れる物さえなくて苦しんでいて、この瞬間にも飢え死にしている人がいるという事実をどう受け止めるかですね』(「経済ってそういうことだったのか会議」日経ビジネス人文庫、佐藤雅彦・竹中平蔵(著),p327)
経済学の門外漢なので、間違っているかもしれませんが、資本主義は常に成長し続けることを前提とした主義で、そうした社会のなかで合理性が求められたり、厳しい競争にさらされた結果、何にでも意味を見出そうとしてしまうのかもしれませんね。
慈円の和歌で返すだなんて風流ですね。その趣味とは一体?気になります。
ご紹介の本、懐かしいですね。10年以上前、大学生の頃読んだ記憶があります。経済の入門書、的なイメージでしたが、そんな根源的なことが書いてあったとは! 再読してみます。ご紹介ありがとうございました。
聞いてがっかりされるかもしれませんが、私の趣味というのはアニメ鑑賞です。
実は、まろさんのこのブログとめぐりあったのもアニメのおかげなのです。
昨年秋から今年の春まで、百人一首に打ち込む高校生を描いた「ちはやふる」という少女漫画原作のアニメが放送されていまして、それから和歌の世界に魅せられて今に至ります。
アニメを幼稚だとかつまらないものと考える人は多いかもしれませんが、私にとってアニメは好奇心を刺激してくれるものです。
たとえば私はARIAという作品からヴェネツィアに興味をもち、塩野さんの「海の都の物語」を読んだり、fate/zeroという作品からアーサー王の興味を持って「中世騎士物語」を読んだりしてきました。
アニメやマンガも単なる娯楽と切り捨てられるような作品ばかりではないと思っているのですが、なかなか理解はしてもらえません。
「山の奥にもしかぞなくなる」のですから「とかくに人の世は住みにくい」のは仕方がないことかもしれませんね。
たしかにガッカリしました。
なんでその放映期間中に「ちはやふる」というのを教えてくれなかったんですか!!!
アニメもマンガも私の子供の頃とは変わりました。土台になるストーリーが飛躍的に濃くなったような。ドラゴンボールのように、何週間も同じ戦いをしてるだけ、みたいな中身のないものは昔の話。
最近だと茶人・古田織部が主人公のアニメ「へうげもの」とか、クラシック好きだから「のだめ」も見てましたよ。今や経営学のドラッカーさえもアニメになってしまう時代です。
百人一首や茶道にクラシック、そして経営学まで。なんとなくとっつきにくいけど、作者が魅力を感じたものをアニメや漫画にしたら触れてもらえるんじゃないか?という想いを込めた逸品なのでしょう。
私も徒然草をベースにしたアニメ作りたいな。。。