人の命は遊び心に宿る

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時間は伸び縮みする。
心が満たされた分だけ、時間は速く・短くなっていく。

そして本当に生きていると感じることができるのは、
時計が刻む規則的な時間から飛び出した瞬間だけ。

時間に追われたり、追いかけたり…。
そうした日常の中に、生きている実感が宿ることはない。

もちろん気忙しさの中にも充実を見つけることはできる。
おそらく「遊び心」が保たれているかどうかが大事。

人間は文字通り人間であるときだけ遊んでいるのであって、遊んでいるところでだけ真の人間なのだ。」(フリードリッヒ・フォン・シラー)

以前も紹介したことだけど、
「道を極める」と「遊ぶ」はご近所さんだ。

茶席の掛け軸にも使われる禅語、

遊戯三昧(ゆげざんまい)

まるで遊んでいるかのように、今の時に没頭する。
その先に禅の目指す「本来の自分との出会い」がある。
「遊び心」を「無心」と言い換えることもできるだろう。

そういえば「時」という漢字には「寺」が含まれている。
いきいきとした時を取り戻すための坐禅なのだろうか?

I’ve looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.“(スティーブ・ジョブズ)

人が人らしく生きるために遊び心を取り戻す。
もちろん自分が置かれた環境を変える方法もある。

でも本当は、、、
「心」を変えて、今いる場所で三昧になるべきだよね。

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