鎌倉五山や京都五山。
歴史の教科書や観光ガイドでは見かけるけど、
詳しく知りたくても、今までは本が見当たらなかった。
先ごろ東京大学出版会から発売された本がおもしろい。
- 東アジアのなかの五山文化
この時代の禅寺が宗教だけでなく外交、文学、茶道、庭園に広がり、
日本の司令塔やOSといった立ち位置だったことがうかがい知れる。
※2005~10年に東大が気合い入れて取り組んだ研究成果のようだ。
五山制度は中国・南宋がインドの天竺五精舎に倣い、
寧波にあった有力な禅寺5つを選んだのが由来とされる。
日本では南宋から蘭渓道隆を招いて建長寺を創建し(1253)、
足利義満の時代(1386)に京都と鎌倉の五山が整えられた。
※京都五山が6つあるのは南禅寺が別格の総本山扱いだから
建長寺では開山からしばらくの間、住職は本場中国から招かれ、
寺内での公用語は中国語という異色の形だったのだとか。
このレベルでの国際交流は日本ではこの時代と明治初期だけだ。
そんな話を読んでいたら、ふと思いついて建長寺へ。
以前は背景も知らず、鎌倉投信の年次総会へ行ったくらいだから。
建長寺がかかげる「天下禅林」。
「人材を広く天下に求め育成する禅寺」って意味。 いい言葉だ。
鎌倉投信がここを会場に選んだのはこれを意識していそう。
なんかカッコ良いから御朱印帳を買ってきちゃった。
建長寺のご本尊は地蔵菩薩。
御朱印と一緒にもらった説明書きによると、
この地は創建以前、地獄谷と呼ばれる処刑場だったんだね。
昨日は暑くてあまり動きが取れなかったけど、
(建長寺の裏山・半僧坊に登ったらバテた)
鎌倉周辺の寺院の規模や密集度を京都と比べると…。
京都の禅寺で枯山水庭園が流行ったのは、
庭園に引き入れる水が不足したことが要因だろうと実感。
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